2010年6月4日金曜日

tokyo lovin'なきんようび

今日は高校時代からの仲良しな女の子二人とデートしてきたょ♥

Sex and the City 2の映画観て、
キレイな野菜が食べれるレストランでランチ、
渋谷のスクランブル交差点が見下ろせるL'Occitaneカフェで
デザート、の後はプリクラ撮って、

東京の女子って感じ?満足です♪

SATCは、やっぱりBeyonceのSingle LadiesをJudy Garlandの
実の娘のLiza Minelliが歌って踊ってるシーンとか、

4人が"I am woman, hear me roar!"歌ってるとことか、

しょっぱなのファビュラス過ぎるNYの映像のバックにAlicia Keyes feat. Jay-Zの
"Empire State of Mind"流れてるだけのとことか、

無条件に最っっ高に、アガるシーン盛りだくさんで、
良かったのだけど、パート1のが、個人的には好きかなぁ?

今回の非現実的過ぎたって言っても、一作目もかなり非現実的だったから、
どこがどう違って、一作目のが好きだったって言えないのだけど、
今回のは、え、そこスムーズに進み過ぎじゃない?!?!ってのが多すぎたかもっっ

SATC的に女子二人とさわやかな日差しが注ぎ込む野菜レストランで
ランチしながら、その内のお一人の結婚のお話♪

来年の一月にハワイで挙式、行けたらいいな♪

夜はママと待ち合わせて、少し買い物して、中華食べて♪

'10の、大学生活最後の夏休み最後の日、じゅーじつしてたなぁ!
来週から頑張る!って気合いも入った感ぢ♥

あ、でも夕方~夜は空いてるので、みんな会おうね♥

tokyo lovin'なきんようびでした!

2010年5月18日火曜日

"waitアタシi'm atオスマーnow butどこ行けば良い?"


帰国しました@5/15。

12時間ほどのフライトではメリル・ストリープではなく、
John KrasinskiのためにIt's Complicated、
ぺネロぺ超可愛かったけどストーリーはイマイチだったNINE、
相変わらず面白かったジャッキー・チャンのThe Spy Next Door、
超アメリカンなThe Blind Side、
レズビアン向けの映画だろうとしか思えないWhip It!、
映画を5本観て。

日曜日はママと温泉、お寿司、
昨日は学校行って。

アメリカ・シアトルでは日本語が聞こえると、
「あ!日本人の人だ!」って感じで、
(でもだいたい、自分が一緒にいる人や、
知り合いから聞こえてくるワケではなく、
アメリカ人と一緒にいるあんなは、その日本語で
会話している人たちからは、他者として見られていて、)

東京に戻ってきて、日本語が聞こえると、
って、どこ行っても、電車のつり革広告でも、
人の話している声でも、日本語が入ってくると、
読めなくっても、ちゃんと何言ってるのか
聞きとれなくても、
日本語だって確認出来て、
ああ、日本に戻ってきたんだなと感じ、

学校に行って、
"How was the US?やっぱり良かったでしょー?"
"今どこ?I'm atガッキnow."
"じゃあ後でI'll meet you byバカ山。"
って耳に入って来て、

ああ、やっとI'm homeって感じ、
やっと、ただいま、って。

あんなにとって、大学は、大学が、homeだな。

昨日、ジャスミンの花の香りと新緑が豊かな帰り道を
チャリで走りながら、しみじみ、感じました。

2010年5月9日日曜日

とりあえず、

アイシユの一期生の方のお宅inシアトルにお邪魔してます。
家は3階建ての、レベルの高いお金持ち。

昨日の夜は、ばんごはん日本のカレー、美味しかったぁ。

来週の今ごろはもう日本だなんて、想像出来ない、、、

---

書きたいことたくさんあるのだけど、とりあえず。

"A modern nostalgic can be homesick and sick of home, at once (50)."

-Svetlana Boym, The Future of Nostalgia

2010年4月30日金曜日

いや、まだまだ問題はあるんだけど、

4/30「高校無償化:朝鮮学校は含まれず」@毎日新聞

もうすぐ朝の5時で、4時間後にはMTGがあって、
期末週間なのだけど、このニュース。

タイトルからして、朝鮮学校だけが、注目されているような気が
するのだけど、ちょっと、後半!!!

「告示されたのは・・・政府が日本の高校に類する過程と認定した・・・
国際的な評価機関の認定を受けたインターナショナル・スクール17校。

気になり過ぎて、文科省のサイト行って調べてみたら、


載ってる!!!

(他の学校で、つづり間違っているとことかあるんけど、、、)

何、ってことは、毎年ママパパ宛てに送られてきてた、子どもを学校に
行かせろよって手紙from文科省、なくなるってこと?

学校として認められていなかったから、あんなは「帰国」後、
インターだったから学校に行っていたことになっていなかったワケだけど、
学校行っていたってことに、なるの?

ついでにインターに通わせるのにも、助成金出るの?
私立と同じ扱いになるのかな。

朝鮮学校への差別が残っているのは、そうなのだけど、
それでも、インターに子どもを通わせることによって、差別を
受けていた人たちは、少し救われるのでは。

2010年4月26日月曜日

ひょっこりひょうたん島の博士。


このブログの名前も、この人のブログからパクらせてもらっている、

おじいちゃんと金髪の若者、二人もひょっこりひょうたん島の博士のメガネ。

井上ひさし氏へのトリビュートなのか、スコット。
そしてそして、東京、もっとオシャレな人いるでしょー!


通訳の先生にもらったのだけど、井上ひさしの言葉で、

「むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに」

って言葉は、好きってか、通訳している時でも、何か書いている時でも、
重要なのは、内容・何を伝えるかではなく、
どう伝えるかなんだなーって、思い出させてくれる言葉。

実際、通訳で言語能力の重要さ・役割りなんて、20%未満なんだって。
あとの80%は、いかに伝えるか、パッケージであって。
良い通訳とは、どれだけその言語が話せるかだけでなく、相手に
分かりやすいように伝えられるかどうかで決まる。
あらためて考えてみたら当たり前なのだけど、ね。


帰国が迫りつつある最近、盛りだくさんです。

ちょっと前にEducation Access Coalitionのシンポで発表した
詩を、先生に褒められ、ココのWomen's Studiesの学部の賞に
応募したらー?言われたから、応募してみたら、
なんと、賞もらっちゃいました@ちゃっかり奨学金まで。@$50とかだけど。

Creative Achievement Awardで、
In recognition of exceptional achievement in creative, artistic, and personal expression contributing to Women's Studies Scholarship.

だって。
嬉しいねぇ、書いてみるもんだね、投稿してみるもんだね。

おセンチ過ぎて恥ずかしいのだけど、

先学期の抵抗の文学の書き方を教えてもらった授業を
受けていなかったら、
その授業での色んな他の学生との出会いがなかったら、

11月にボストンで会ってもらったI先生に、誰かの存在を不可視化して
しまっているのではないかって常に考えるのも重要なことだけど、
自分の与えられている機会は使うべき「特権」として理解して;与えられているものを
利用して進んでいくんだよって、背中を押してもらうことがなかったら、

ワルシャワで勉強しているAnnaちゃんみたいにストレスで落ち込んでいる
時に、優しく気にかけてくれる、尊敬出来る先輩がいなかったら、

先学期の先生と、今学期の先生に語るんだって、いっぱいいっぱい、
自分の勉強していることを発表していくんだよって教えて励ましてもらうことがなかったら、

(そして何度も何度も、書き直しのプロセスに付き合ってもらい、、、)

今ココで、勉強させてもらう機会に、
それを許してくれて、応援してくれる家族に恵まれて
いなかったら、ありえなかったワケで、

その偶然に偶然が重なって、賞をもらうまでに至ったことを
考えていると、幸せもの過ぎて、一緒に賞もらった、先学期から
ずっと一緒に勉強してきているアリーとほろり泣いてしまい。

アリーも超アメリカンなギャルなんだけど超勉強家で、
アメリカ共和党のSarah Palinとかに見られる、保守的ってのかな、
アンチ中絶の語り(最近は子どもが産まれる前に、「障害」を
持って産まれてくるかどうか検査すること出来るじゃない)を、
障害(者)理論×クィア理論的視点から批判をした論文で賞をもらっていたよ。

あんなの幸せをいつも思っていてくれているママにも後から
伝えて、喜んでもらえて、嬉しかったなぁ。


今日はおばあちゃんからお手紙が。

「あなたが詩を朗読したり、論文を学会で発表したりすると書いてあって、
私は本当にうれしくて涙が出そうでした。私の夢をあなたが実現して下さった
みたい。いつかその詩や論文を読ませてもらいたいと思いました。」

夢を実現させてもらっているのは、あんなの方なのに、
おばあちゃんにもそれを喜んでもらえて嬉しいなぁ、と。

2010年4月23日金曜日

良い映画2本。


最近観た良い映画二つ。


一つ目はドキュメンタリ。

オハイオ州コロンバス(オハイオ州立大学がある場所でもある、ってことは、
先輩が交換留学で行ってた学校になるんだ!って今気付いた)は、

50年代、低所得者の人たち、まぁ、多くの黒人が住みつくように
なっていた住宅街なのだけど。

'oo年代、いきなり裕福な白人ゲイたちが入ってきて、
そこらの住宅を購入しようと、ゲイ・コミュニティを作ろうと、街を
乗っ取ろうとしていった(今も続いているけど)プロセスを描いた作品。

タイトルの"flag"旗は、ゲイのカップルたちが家の前にかかげるようになった
レインボーの旗と、それに対抗して、黒人の人たちも自分たちのアメリカ
南北戦時代の、旗をかかげるようになった旗から。

金持ち白人、ピンクのラルフローレンのポロシャツの襟立ててる
日サロ焼けしまくってるゲイたちは、道端でホームレスの人に
出くわしたり、夜の銃声とか聞いて、こんな荒れている場所で、
ボクたちのコミュニティが作れるワケない
じゃない!出ていって!って態度で。

対して、黒人の人たちも、ココはずっと俺たちの土地だったんだ、
お前らオカマみたいな変態なヤツらは入って来るんじゃねえ!って態度で。

でも声を上げて、戦うことも出来ないのは、難病持ちで治療費と
家賃の請求でどうしようもない状態に追い込まれている、底辺の人。

一人の、そんな女性の視点からも描かれているんだけど、
うん、うまく言葉に出来ない。観よう!

ボスニアの大虐殺の、民族浄化"ethnic cleansing"のプロセスに
例えていて、色んな視点から描かれていて、良かった。

二つ目は"Shortbus"『ショートバス』って映画。
監督はヘドウィグの、John Cameron Mitchell。
キャストは公募で行われて、台本もほとんどなしで、「クィア界」の
セレブなドラァグだったり、理論家だったりが出演していて。


主人公の一人のアジア系女性は、カナダでDJやってる人とか。

セックスの多い映画ってかむしろポルノ映画だから、所属していた
ラジオ局から反対があったりしたらしいけど、クィア界の著名人
(09年にリリースされたドキュメンタリじゃない、ショーンペンの
"Milk"『ミルク』の監督のGus Van Santとか)がラジオ局に
抗議の手紙みたいなんとか出して、出演許可されたとか。

セットも「USクィア界」的には超ゴーカで、一つはNYで起きたAIDS現象に
ついて論じているMichael Warnerの自宅とか!

舞台はいちよう、ポスト9/11のNYってなってるんだけど、

(よってポストAIDS、ポストNYのGiuliani市長による中産階級化)

実際のセリフに、

"It's just like the '60's. Just with less hope."

「60年代みたいなモノよ。ただ将来がないってだけで。」

みたいにあるみたいに、ヒッピーな60年代を彷彿とさせる感じあったり、
アニメーションで(Mitchellはこの手法をよく使う)ファンタジックな雰囲気があったり、、、

そのファンタジックな感じは、物事のtemporalityを表わしていて、
その未来のなさは、90年代のAIDSパニックのころとしても解釈
出来るのでは?って意見も授業では出たのだけど、確かに、
ミュージカル映画RENTのポルノ版、のようにも感じられた。

NYでいちばんAIDSが騒がれいた70~80年代にかけて市長だったEd Kochは、
今はもう亡くなられているのだけど、KochはそのAIDSの騒ぎのころ、
何も対策を打たなかったのは、積極的に取り組むことによって、逆に
ゲイだって思われたくなかった・バレたくなかった;クロゼットclosetedだって
ずっと疑われている市長なんだけど、Ed Kochのキャラクターも出てきたり。

あー、去年観た、『愛のむきだし』以来、良い意味でぐっちゃぐちゃなって、
ぐるぐる考えさせられる、長いんだけど何度も何度も観たい思った映画だ。

気になったのは、最後にぱーっと、みんな解放されるのと、
SM文化の表象のされ方ぐらいかなー。

主人公の一人の女の子が、SMの女王様で、「本当の自分」を
うまく表現出来ない、人とうまく関係を持てない、みたいな語りだったのだけど。

あーまり好きじゃなかったかな、その読み方は。

もっとSM文化って、複雑だと思うんだよなー。
「痛み」×「恥」×「侮辱」・・・=快楽;
「痛み」が欲望の対象であるとことか。

あと最後みんなひゃっほうーって解放されるのより、
複雑なままで、みんな傷ついたままのが良かった、ってワケじゃないけど、
そんな単純じゃないでしょう、みんな救われるのなんてない、
誰かが承認され、救われるとき、誰かはそのプロセスによって、なお周縁化され、
なお傷つくことだって、あるんだから、ってのを、表現して欲しかったのかな。
(だって実際そうじゃない)

東京に戻るので何が楽しみって、またお気に入りの映画館に行くことなんだな。

アップリンクでは『アリ地獄のような街』、
ポレポレでは『ただいま』、『アヒルの子』、『LINE』、
ユーロで『クロッシング』、
早稲田でフランス映画、
イメージフォーラムでジジェクの映画ガイド(ジジェクとは友達の友達=みんな友達な関係笑)、『ビルマVJ』、
岩波で『パリ20区、僕たちのクラス』、
ライズでやってる名画座ので『トレインスポッティング』@初めて観たのは10歳、
ギンレイで母の日企画のつもりなのだろうけど、母の日には重いだろうな映画2本、
アテネ・フランセでアメリカ映画のパフォーマティヴィティと「時間」の、、、

それでそれで、あの映画館に行った帰りにはあそこのカフェに行って、、、

ここでの生活もあと2週間って思うと、とてもとても悲しくなるけど、
東京もやっぱり待ち遠しいんだな。シティ・ガール。

2010年4月21日水曜日

大学とか、(高等)教育の民営化


教育の民営化は、何につながるのかと、どうしてそれが
いけないのかについてぐるぐる考えているのだけど、

教育の民営化の可能性、みたいなのが気になる。

ぜーんぶ、価値なんてお金で測れるんだよーってして、
いちばんgain currency儲かってるのは、どの学問か(就職につながるって
意味でなら、ビジネスとか?)って見て、
例えば教養人であることを表している(はずの)哲学や、歴史学は
儲かってないってなった時。

歴史や伝統で、学問の価値を測らないのであるとなると、
何を意味するのか。

今もまだあるんだよね?専門高校や、職人の人について、
技を学んで、そのままそれを生かして就職ってか、
それを今度は食べていくのに使うの。

今の経営学とか、商学(部)って、同じようにとらえられるのか。
その後どうやって食べていくかに直結している具合。

昔の全てが良かった昔に戻ろうでもないし、
今があるべき、最高の状態とも思えない高等教育の場、位置づけ。

気になるので、ちょいとメモ。


豆腐ハンバーグ作ったの!

超水切りした木綿豆腐、
しいたけ(Shiitake Mushroomsってね)、にんじん、ねぎ炒めて、
パン粉(パンをトーストしたら出来るのね)、
手でこねこねして、

お醤油、カレー粉、塩コショウ混ぜて、ぽんぽんして、焼く。

美味しく出来た!
って何より、型崩れしなかった!
たまご使わないでも、出来るんだね。
(Veganじゃないです。ベジタリアンでもないです。)

---

アメ史の授業の課題本、On Not Speaking Chinese: Living Between Asia and the West
を、読んでいるのだけど、やっぱりdiasporic intellectualディアスポラの
知識人(なんでこう訳したのか知らないけど、本橋のタイトルそのまんま)は、
好きなテーマってか、読んでいてうんうんなって、だーだー泣かされる。

作者のIen Angは中国系の親を持ち、インドネシア生まれオランダ育ち。
今はオーストラリアで研究していらっしゃるみたい。

Angはどうして中国人・アジア人とidentifyすることが苦手なのかに
ついて、書いてあるのだけど。

中国人に、見た目は同じ中国人なのに、中国語しゃべれないコイツ!
思われ、よって、「同じ」中国人に差別され、みたいな語り、もちろん
納得ってか、よく理解出来るのだけど、

Angは更に、差別され、いじめられているのに、
親には理解されないって、親は同じ中国人同士ならって考えで、
自分の経験していることは通じないであろうって語っているんだ。

自分とシンクロし過ぎていて、もう、ブログ書かずにはいられず。

親の世代は、異国で「やっぱり」頼れるのは同じ人種の
人たちって感覚で。
同じ人種、同じ言葉を話すモノ同士ってだけで、OK牧場な感覚。

でもAngは、オランダ語しか話せない状態だったから、
中国人の人と言葉を交わすことも出来なかったって言ってて。

そうなんだよなぁ、異国でだと、同じ人種、言葉が通じるってだけで、
なんだろう、そこで友達になれない・通じ合えないのは
おかしい、みたいなのがさっぱり理解、、、出来なくないのだけど、
英語が話せるってので、人種関係なく、人と対話出来るあんなには、
同じ人種であることの重要さなんて(分から)ない。

同じ人種でも、生い立ち・backgroundバックグラウンド(「背景」みたいに
なるのかな?でもbackgroundのがしっくり来る)が違ったら、
「敵」とまではいかなくっても、ん、敵になるのかな?

こう、アメリカでの第二波フェミニズムやブラック・フェミニズム、黒人女性の
フェミニズムにおいて、(第一波は)白人の中~上流階級の主婦の
女性しか、解放されてないじゃない!って、語っていたの、

誰かが解放される時、参政権を得るプロセスで、私は更に周縁化され、
言葉(を発する場)を奪われる、って語り。

同じ女性でも(Sojourner Truthの"Ain't I a Woman?"を
読む時のT中Kず子先生は女優)、人種、階層、が違うと、何もかも違うんだよっていう。

もちろん、自分が特権的立場におかれていることは、自覚しているのだけど。

うん、このテーマやっぱり好きってか、通じる人がいるって感じられて、幸せだ。

2010年4月18日日曜日

美味しい朝ごはんが食べたい。

トマト、赤玉ねぎ、フェタチーズ、オリーブ、バジルの
サラダとワイン、良い組み合わせ。

昨日は発表だったよ!

テーマはアメリカ;西洋圏における人種的マイノリティ男性の表象と、
異人種・階級間(恋愛)関係とその可能性、みたいな。

白人女性に対して、いわゆる従属的立場に(一般的に)
おかれているアジア人男性の去勢化と、

その「従属的さ」;"effeminacy"は欲望の対象に
なるのか、欲望されるということは、みたいな。

パネル二つあって、二つに分かれてやってたので、会場には30人前後。

質問はされなかったのだけど、あんなが話した
アジア人男性の表象のされ方について、「表象し得ない存在」、
「そこにない存在」としての表象のされ方って、
masculineな女性にも、ブッチビアンとか関係なく、
応用出来るわよねってコメントを頂き。

キンチョーはけっきょくほとんどせず。ただ残り時間2分(15分の
発表+質疑応答)って教えられた時、少し焦ったけど、
なんとか全部発表し。

先生にも、ありがとう、よく頑張ったね言ってもらい、ああ、
本当にたくさん学ばせてもらって、発表までさせて
もらっているのはこっちなのに、本当に先生は良い人だなー感じ。

終わったあとは、一緒に発表した友達たちと飲みに。

あんなたちの先生は、インド人のゲイゲイしいゲイなのだけど。
むらさきのピンストライプのYシャツとか、
アーガイルのカーディガンとか、
細いピンクのネクタイとか、
柄x柄の組み合わせだったり、
スキニージーンズだったり、
毎回、授業に着てくる服がとてもオシャレなの、アガルよねーって話して。

ゲイなのは分かってるけど、アタシ完全に惚れてるんだけど!って
一人がカミングアウトしたと思ったら、みんな揃ってアタシもー!って。

先生はパートナーはいるのだろうか、いや、
いつもcruising(いわゆるハッテンバ文化)の話してるから、
きっと先生自身、サンフランシスコの映画館やらで
激しくやりまくってるんだろ!話し。

とてもとても、楽しい時間を過ごし。

もう二度と会えないことなんてないのは分かっていても、
あと一カ月もすると、ココでの日常とは、とても離れている場所に
行くんだ、そしてココで繰り返されていたことなんて、あんなが
ココで9か月過ごしてたことなんて、誰も知らないことに
なっちゃうんだって、気付いて、

やっぱり寂しい気持ちに。
たった一年(以下)しか、いなかったってのに。

なんだろう、自分の移動する自由があるところが、
気になるんだよ。
勉強させてもらうだけ、勉強させてもらって、
たくさんの経験を「もらっている」のに、
何も返せていないってか、返せるとでも思ってるのって
ハナシだけど、なんだろ、
ココで学ばせてもらったことを、どう社会化するか、
自分をどう位置付けるか、ってのかな。
あ、ってより、東京に戻ってから、ココでの経験を
どう位置付けるか、なのかな。

シューカツの時とかに聞かれる、とてもかけ離れた
出来事としてしか、覚えておくことないのかなぁ、悲しいなぁ。

よく分からないけど、とりあえず、
ココで勉強したことは忘れないでいたいと、
強く思う。

昨日の夜、ショットやってバー3軒も行ったのに今朝は
元気にジム行って天気良かったから久しぶりにテニスして!

美味しい朝ご飯が食べたいな。
でも卵がない。

2010年4月15日木曜日

ママからムスメへ


Mother to Son

Well, son, I'll tell you:
これだけは覚えておいてちょうだい:
Life for me ain't been no crystal stair.
ママが辿ってきた道だって、決して平らなモノではなかったってこと。
It's had tacks in it,
釘が刺さってたり、
And splinters,
破片が落ちていたり、
And boards torn up,
床がめくり上がっていたり、
And places with no carpet on the floor-
何にもないところだってあったんだから―
Bare.
何にも。
But all the time
それでもいつだってね、
I'se been a-climbin' on,
進み続けたんだよ
And reachin' landin's,
新しい土地に着いては、
And turnin' corners,
新しい角を曲がってみて
And sometimes goin' in the dark
たまには暗い通路や
Where there ain't been no light.
先の見えない方へとも進み続けていったんだよ。
So boy, don't you turn back.
だから振り返ったりするんじゃないよ。
Don't you set down on the steps
座り込むんじゃないよ
'Cause you finds it's kinder hard.
座り込んだってキツイだけでしょ。
Don't you fall now-
つまづくんじゃないよ
For I'se still goin', honey,
ママだってまだ止まっちゃいないよ
I'se still climbin',
ママだってまだ進み続けているじゃない
And life for me ain't been no crystal stair.
ママが辿ってきた道だって、決して平らなモノではなかったのだから。

Langston Hughes

(同時通訳のスピードで訳してみたから大目に見て。師匠のH先生流、意訳です。)


日本時間では今日は、ママの誕生日。

(先学期知った、Essex Hemphillも今日です。90年代に
AIDSで亡くなってるけど、、、泣)

留学していて何が辛いかって、友達に助けを
求められたりした時に、すぐに駆けつけて、あげる
ことが出来ないこともだけど、

こう誕生日とか、幸せを分かち合って、一緒に
嬉しいことをお祝いすることが出来ないのも、寂しいよね。

やっぱり一人だと、美味しい食事にも消極的になっちゃって
行きづらいし、一人で行っても、それを誰かと
共感出来ないと美味しいものも、それほど美味しくなく
感じちゃうし。

(普段から単身赴任中のパパはどうなんだってハナシに
なるよねぇ、、、パパごめんねぇ。)

ママ、お誕生日おめでとう。
今日はダイエット忘れて、美味しいもん食べな!
あんなが帰ってきたら、また一緒に美味しいごはん行こうね!

---

そして今日はあんなが人前で初めて自分の勉強してきた
ことを発表する日です。
(こっちの時間だと明日になるけど)

ママの誕生日と重なって、なんか嬉しいなぁ。

誰かの為にってなると、けっきょくは自己満足でやっている
だけなのに、おこがましく聞こえちゃうけど、自分の経験として、
自分にも関わる問題として、あんなが勉強する動機の一つには、
ママの経験があるから、ってところはある。

つっても、戦争体験とかを語り継ぐような動機とは、
あんながママの経験を語りたい思うのとは、全く違うように思う。
単純にあんなを深く深く愛してくれて(たまには
重く感じることもあっても)、あんなの為に何があっても、
どんなに不安でも、走り続けてくれている、何が
あっても許してくれている、から、
ってなもんだよ。ただのマザコンとも言える。笑

ママの経験してきたことを考えると、
Spanglishを観たり、Rey Chowの本を読んだりした時に感じる、
まだまだ勉強することはたくさんある、
道のりは長い、
じゃないけど、
ああ、まだまだ社会は複雑で、自分の、ママの経験だって語る
言葉さえまだまだ十分じゃないのにって、考えさせられて、
もっと勉強しなきゃって気持ちにつながるのです。

チカーナの母親Floreや、自分のママの様な経験をしてきた、
している、出来るだけ多くの(それぞれの母親が経験してきている
ことなんて違って、universalize一般化するつもりはないけど)
母親たちの強いられてきた決断や、悩んでいることを、
言葉にしたいにも、言葉にし辛い経験を、

社会全体で覚えておかなければいけない・共有されるべき
問題っていう意味で、publicize and politicizeって意味で、
言語化・可視化し、語り継いでいく作業に、少しでもあんなの
研究が意義あれば、それはとても嬉しいことだな、思う。

なので、勉強し、考える原点でもある、ママの誕生日に
初めての論文発表が出来ることは、とても個人的には
symbolicで、緊張するけど、語るしかないって、
思い出させてくれて、幸せだな、と改めて実感しているのです。

2010年4月9日金曜日

publicize.



先学期、抵抗の文学として詩を書いていた
授業(まだAnnaちゃんに送ってない、、、うー)で
一緒になって、今学期もクィア理論の授業を一緒に
履修しているJacksonってお友達がいます。

もうすぐ卒業の4年生。
卒業したら院試の勉強をしながら、ワシントン州の
公共政策をもっと一般の人に理解してもらったり、政治活動の
啓発運動みたいなのに関わったりするそう。
去年の夏ボーイフレンドと結婚したばっかり。

今は学校のEducation Access Coalitionって言って、
教育の機会の不平等さ、大学の予算カットや民営化を
問題視して、デモやら勉強会やら色々やってる団体の
代表として活動してるんだって。

それでその団体のワシントン州の議員さんや、学校の教授らを
交えてのシンポジウムで、あんなも書いた詩を
発表しないかってお誘いが来ました。

で、発表してきました@昨日4/7はEducation Access Day。

会場はそんなに大きくなかったし、100席ほどあった部屋の、
7割ぐらいが、埋まってたかな?そんなもん。

公けの場で自分の詩を読むなんて、なんてなんてなんて。

でも勉強するにつれ、いかに自分が感じて学んだことを
言語化するにしてもしないにしても、なんらかの方法で公けに
すること、自分の経験を語ることの重要性(と、他者のものがたりも
しっかり聞くこと)を実感するようになってきてたのもあって、
語る場が与えられたのだから、って思い、読んできたよ。


聞けて良かったって知らない人に言ってもらえたり
するのは、素直に単純に嬉しいなー。


で、来週には論文を発表させてもらうの。
interracial relationships異人種(恋愛)関係の表象と、
その関係の物象化について書いたの。

コレはクィア理論の先生に誘われて。

こっちは学生と大学教授が発表するの。
小規模なのかと思ったら、パンフを作ったり、色々と大変そう。

(大変さでスケールの大きさを測るのは違うかもだけど)

一年間を通して学んできた、たくさんのことを発表する
機会が与えられて、なんか、嬉しいんだなぁ、恵まれてるよなぁ。

アイシユだけなのか分からないけど、日本の大学は学生が
発表する機会、相対的に見て少ないように思う。

卒業論文をそもそも書かないで卒業出来る大学も多いみたい。

だから超厳しいし、卒論発表会は泣かされる人続出・公開処刑だとも
言われてぐらいだけど、K先生のゼミは学生が発表する
場所があって、K先生はそれを大事にしていて、好きだなー。

発表せねばってなると、批判されることに自分を晒すワケだから、
すんっげえ頑張るし、どういう批判が来るかってとこまで考え
させられるから、自分の書いた文章を客観的に読み直して、
書き直そうってなるし、公けにすることはやっぱり、重要なんだな。

自分の勉強してることを公表する意義として、情報シェアだとか
何とか言う人もいるけど、その重要性は、よく分からん。

人の発表してることには興味ないのかってワケではなく。
人が何を見て感じて学んで、どう考えて、ってのを聞くのは楽しい。
そんな視点があったのかー、同じことを経験してたのに、
そうやって解釈したのね!ってのに、ワクワクする。

ただそれを、お前も同じように重要な情報だと思え!って、
シェアし隊(たい)から要求されているようで、抵抗があるのだと思う。

自己満足のために勉強して何が悪い!とまでは、思ってても、
まぁ、それだけじゃダメだよ言われるのも分からなくないから・社会性の
重要さもあると思うから、言わないけど、オレが今研究してることって
革命的かも!って気分に酔いしれてる人を見ると、なんか、うへえなる。

この研究は革命を起こす!って言われても、
マルクスも毛沢東も出来なかったのに、なんなんだどこからその
自信とやらは発生してるの?!ってツッコミたくなってしまうんだよ。


そういえば大学のお知らせに今年度から、土日も
本館や図書館を開館します・開館時間延長しますと。

きっちり閉館して、セキュリティがっちがちになるのか思ったら!

2010年4月8日木曜日

留学・休学・留年・「ドロップアウト」・休職



すーっごい乱暴なことを書いてみる。
(いつも以上にってこと。)

留学することでも休学することでも留年することでも、

社会からまるごと「ドロップアウト」することでも(で、東南アジアの文化を搾取しに
行ったりするらしいけど、この「社会」からって語りからして、出来るとでも
思ってるのどこで分けてるのさって意味で理解するの難しい)、

休職してみることでも。

そういう少し普通とは違った;逸脱した(ネガティブな意味合いなしに)ことを
行うのにあたって、日本文化の特徴かな、それとも
アメリカや他の国でも程度や対象は違えどあるのかな、

(いや、アメリカは間違いなくBe different just for the sake of
being differentな文化だから、どうだろう)

(日本は)自分の行為の正当化に走る傾向がある。と感じる。

誰だってみんな自分が可愛くって仕方なくって、そうやって
自己肯定に走るのなんてのは、当たり前。

本当に本当に考え込んで、行き着いた決断ならってか、
なんだかんだ言ってその人の選択だから、どうでもいいのだけど。

その自分の行為の正当化が更に進んで、
万人にとっても、正当な行為であるって語り始める、なんて
表わしたらいいのだろ、正当化が行き過ぎてなのか、
自分の行為が逸脱しているってことを受け入れたくないが
為なのか、まぁ、両方なのだろうけれど。

自分の行為を、正当で、更に一般である「べき」って捉えようとするの。


「大学4年間ボーっとして過ごすのってどうかなと思う」
「日本人は働き過ぎなんだよ」
「いったん立ち止まって考えて、遠回りするのも悪くないよ」

(くせして、時間は限られているのだから有意義に有効に使えみたいなことも語る。)

みたいに語って、色々理由つけて来るの。

はるな愛風に「言うよねー」って言ってあげたい。
って、実際に言ってるじゃないか。

じゃなくって、

なんだろう、どうしてありのままの現状を、正しいワケでも間違っているワケでもない、
ただのありのままの現状として受け入れられないの?思ってしまう。

で、ありのままを受け入れて、人に納得してもらわないでも、
自分で正しいって納得して過ごせないのなら、、、何なの思ってしまう。

(ああマッチョ、、、)

どうして何かをするのに(正当な)理由が必要なのだろう。
何事だって単純に好きなら、理由なんて必要ないと、あんなは考える。


どうしてこんなこと書いてるのかって言うと、
ここ最近、よく見かけるのだよ、この風潮を。

で、その逸脱しようぜ!バブルを嫌だなぁと感じるのは、

コレで良いんだよ!むしろこっちのが正しいんだぜ!って、
社会不適合者だぜひゃっほーう!って
(すごい痛々しい感じに)語っているのと同時に、

本当に、ガチで社会に承認され(てい)ないのと、
社会に本当に復帰出来なくなることに対しては、
すごい恐怖感を抱えているような気がするのだよ、逸脱し隊(たい)員たちは。

けっきょく社会からの眼差し、すーっごい気にしてるんじゃん、って。
社会からの眼差しあってこそ、なのかな。

って何より、あんなが何なのさって嫌に感じているのは、
あんながどこでも常にすでに逸脱していることが多いから、
それを物象化されているみたいで、なのだろう な。

カウンセリングとか、精神医療で疑問を感じてる点に似てるように思う。

「あなたはあなた。そのままで良いんだよ!」って言うのと共に、

「(でも)そのままじゃ、ダメ。頑張らないと、努力しないと
良くならないよ!」って言うってね。

頑張らなくっていいんだよ。でも、頑張れ!ってね。うぜええええ。

夜中のおかしな怒りとテンションと色々混じりの乱暴なブログ。
モスバーガーが食べたい。

写真はテキトー。
文章の乱暴さを和らげようって作戦のつもり。

2010年3月29日月曜日

American Individualism.



(メキシコ日記、まだまだつづくけど。)

スタバでもどこでも、アメリカのコーヒーショップはラテとか、
ミルク入ってない、アメリカンとか注文すると、必ず

"Do you want room for milk and sugar?"

って、
どこまでコーヒーを注げばいいかを聞かれる。

日本だとミルク入れたくっても、決まってたっぷり
注がれて出されるから、まず濃いコーヒーを少し飲んでから
でないと、ミルク入れたくっても入れられない。

単純にアメリカのがコーヒーを飲む習慣が定着していて、
それ故の気遣いとしても見れるかも知れないけど、つったって、
日本でもコーヒー、アメリカンやエスプレッソやらと、種類が
豊富になってきたのは最近かも知れないけど、どこの喫茶店行ってもあるし。

このアメリカのカフェにおける、コーヒーに
ミルク入れるかどうかって問いは、

「アナタはどうやってコーヒーを飲みますか?」
「アナタは自分なりのコーヒーの飲み方がありますか?」

って問いかけているのだと思う。

そしてコーヒーの飲み方にしても、私の好み、
私の飲み方ってのがみんなあるのを、
想定すると共に、自分のスタイルみたいなのを確定して
持つことを促し、称賛する文化;個人主義の表れのように思う。

コーヒーに入れるミルクが置いてあるカウンターには、
普通の牛乳に、低脂肪乳、無脂肪乳(Non-fat milk、、、どう処理され
加工されてるのか、想像したくもない)、豆乳、生クリームと、
何種類ものミルクに、

砂糖も普通の砂糖に、黒糖、パルスイートみたいなん、

他にもバニラパウダーやシナモン、、、

「自分流」のコーヒーを作って下さいなって言ってる感じじゃない。

こうやって考えてみると、コーヒーをカスタマイズする
カウンターがあるのって、スタバぐらいじゃない、日本って。

ドトールとか他のコーヒーショップは、せいぜい砂糖と
クリームぐらいでしょ、置いてあるの。

最近はラテとかにキャラメルソースかけるの流行るように
なってきたけど、シロップやショット追加したりする文化も、
日本だとスタバとかぐらいな気が。

ってどっち道、シアトル発祥のスターバックスが先駆けなのだけど。


"small talk"いちばん近いのは、井戸端会議なのかもだけど、
タクシーのうんちゃんや、喫煙所で一服している人同士と
交わされるコミュニケーションのことを表す言葉。

特徴なのは、知人との会話でもあるけど、たいていの場合は
他人や、あまり知らない人同士で交わされるってのと、
THE他愛ない(会話)内容。

カフェでミルク入れるかどうか聞かれるのは、
small talkの文化、積極的に言葉を交わすことを重要とする
文化の表れでもあるのかも知れないけど。

スタバとかで、超早口で呪文みたいに

"non-fat, double shot, hazelnut latte to go"

みたいに注文してる人を見ては、アメリカンなカッコよさを
感じてたのは、そのすらすらとめんどくさい注文が
言えちゃうところに、my mornings have to start with this毎朝
同じのを同じ場所で同じように注文してるの、私の朝はコレで決まる、
コレが私を作っているの、私のflavor好みはコレ、みたいな
意識の表れのように感じているからだろうな。

ペーパー書かなくっちゃいけないってのに、
コーヒー注文して聞かれた一言からぐだぐだと考え事。

明日の政治学の授業のために、アメリカ文学勉強しています。
高校時代以来です。楽しいー。

読んでいて感じるのが、本当に社会主義を「悪」だと思っている文化なのだなーと。

Moby Dick書いた、Herman Melvilleの"Billy Bud"って作品を読んでいるのだけど。

Billyって青年のBellipotentって船での人との出会いや葛藤を描いた作品。

「船」は覇権的な社会や、法;国家の記号として働いていて、
"Billy"はそれに立ち向かっていく、「個人」を象徴しているの。

Self vs. Societyって言う、超アメリカンな二項対立。
ほんと好きだよねー!

面白い思ったのが、そのBillyと一緒に船に乗り合わせている他の船乗りと、
Billyとの間には、信頼関係っつーか、友好的な関係が築かれないこと。

船と、船の掟や、船長には不満を感じるし、
周りのヤツらは信用出来ないって状況にいるBilly。

同じ船乗りって身で、同じ階層の者同士、ほら、
プロレタリアート文学代表、小林多喜二の『蟹工船』みたいに
集って、対抗するパターンには、ならないんだな。

ま逆で、船乗り同士、お互いのこと全然、信用してなくって、
絶対お前ワルだろ!どうせ裏切るんだろ!ってなぐらいに思ってて。

アメリカの個人主義って、社会主義への恐怖心からってのも、
あるのかなーなんて。

2010年3月28日日曜日

La Casa Azul



メキシコ最後の日は、メキシコ・シティへ戻り、
一人で観光。

なんとなんと、エイリーがタスコでダウンになったのです。
ベジタリアンなのだけど、注文した煮込みタコス的な何かに
ハムが入ってて。

人が食べれないモノではないから(ハム)、よけて食べたら
大丈夫かなー言って、タコス食べて。

そのあとバー行って、あんなが踊り狂ってる最中、
エイリー完全にダウン。

なのでエイリーがホステルで休憩中、
Frida Kahloの美術館に行ってきました。


La Casa Azul、「青い家」って、そのまんまな名前の美術館。

名前は知ってたけど、初めて生でKahloの作品を観たのは、
去年の12月@NYのMoMAにてだと思う。

Kahloの作品、好きかどうかは分かんないけど、
とりあえず、あんなにパワフルな絵を観たのは初めてだと思う。

すごいんだな。
"Alice in Wonderland"とか読んで感じる、
すげえトリッピー!な、すごさとは、また少し違うんの。

上手く表現出来ないけど、「生命」の底力みたいな、
大自然に対して感じるようなすごさを、Kahloの作品にも感じた。

Kahloの見てた世界って、どんなんだったんだろう、


Kahloには、この花はどう見えてたんだろうって
思っちゃうほど、すごいの。豊かなの。

"Still life"(静物画?)って表記されていても、
どこが"still"なんだし!ってツッコミたくなるほど、

観てれば観ているほど、Kahloの作品って動いていて、
語りかけてきているようなんだな。

美術館にはKahloが実際に使ってたパレットや、
車いすが、実際に身にしていたギブスや包帯まで。
見ごたえあったー。

美術館を観終わった後は、気の向くまま、
お腹の向くまま、てくてく歩きまわり。

レストランとか行って、あんながお肉入ってる何かを
注文しても、同じ調理器具使って、あんなが家でお肉
使った料理しても、大丈夫だから、普段は全然
気をつけなくても大丈夫なのだけど。

さすがに、(新宿やらにある)トルコや中東の屋台で
見かけるようなお肉のかたまりが大きな串に巻いてあるのを
くるくる切りながら、タコスとかに挟んで出している、
お腹空いてなくても食欲をそそる匂いを放っている、
明らかにベジタリアンオプションなんてなかろう道端の
屋台とかで、食べよう!とは言えず。

なので、ずーっと旅行中、そう言ったスタンドを見かけるたびに、
うう、絶対美味しいんだろうな、思ってた屋台のタコスを食べに。


(ぱっと見)東洋人の女の旅行者が一人で来るのは
めずらしいのか、ここ座って良い?みたいに聞くと、少し
びっくりして見られる。
隣りに座っていたお父さんと座っていた男の子にガン見される。笑


5分もたたないうちに出来たて熱々のタコスが目の前に。

ジューシーなお肉に、玉ねぎのみじん切り、香菜、サルサ。
ライムもたっぷり絞って。

超シンプルな組み合わせなんだけど、もう、今こうやって
書きながら思い出すだけでも、よだれが出てきそうなる、
たぶんメキシコ滞在中に食べたものでいちばん美味しかった。

美味しすぎて、5分で出てきたタコスを2分で食べ、
追加注文。笑

タコス作ってるおっちゃん、待ってました!と言わんばかりに、
得意げな笑みを浮かべながら
追加のタコスをぺたぺたっと鉄板に乗せ。

隣りの親子のお父さんにもうまいよな!って微笑まれ。
ソース付いてるよって小さい男の子にナプキン渡される。笑

タコス2個@80円×2で完全に満たされ、
メキシコ・シティ散策を続行。

やっぱり最後もコレでしょう思い、生演奏やってる野外バーへ。


注文したのはMargarita Jamaica、ハイビスカスのマルガリータ。

唐辛子と塩がふちについているグラス。
ライム絞って、飲む。

いやあ、一人バー初体験がメキシコでとか、なんだろう、
どうでもいいけど、また無駄にすげえな言われたり、
苦笑されたりするのだろうな。笑

おばあちゃんや色んな人に絵ハガキ書いてたら、
バーのお兄ちゃんがおつまみくれる。Gracias!

エイリーが寝ているホステルに戻り、
タクシーで空港に行って、空港で他のアメリカの大学生の
旅行者たちとベンチで夜を明かして、アメリカに戻る。

あんなはベンチで爆睡。
後からよく寝てたよね?ってエイリーに聞かれる。

あんなは何でも食べるし、どこでも(いつでも)寝るって
印象を植え付けたであろうメキシコ旅行。

大学の就職課から毎週届くメールマガジンに癒されるー。

Taxco



オアハカの次は世界でいちばん大きな銀山のある、
小さな小さな街、Taxcoタスコです。

メキシコ・シティからバスで2時間半ほど。



家や建物が白い壁に、赤い屋根。
雰囲気は内陸にある地中海。みたいな。

(あんなは地中海行ったことないよ;ギリシアや
南イタリア行ったことあるエイリー談です。)


細い石で出来た道ばっかの、小さな小さな、
かわいらしいタスコ。

この道は辿ってったら、お花が咲いてました。いやあ可愛い。



街はシルバー・アクセサリーのお店がたくさん。
人口の95%の人が、その業界で働いているとか。

(で、残りの5%は、バーをやってるのさーって、バーの
おっちゃんが教えてくれました。)

(そのおっちゃんに、サルサ教えて!って言って、
踊りまくってたらユー日本人じゃねえ、ラテン系だ!言われた。)

WHOLE SALEで、卸売りしているところもたくさん。
世界中のシルバーアクセサリー関係のお仕事してる
人にとってのメッカみたい。


コレは実際に、アクセサリーを作っているところ。
お店の人に見れるの?見たい!言って、特別に見せてもらいました。

あんなもブレスレットとネックレスを購入。

メキシコのカトリックの象徴とも言える、Our Lady of Guadalupeの
ペンダントが欲しいなぁ思ってたけど、気に入るのが見つからず。


ずっと移動したりと、忙しく過ごしてたからタスコでの
一日はゆっくりと、歩いて、ビール飲んで
過ごして、非日常を楽しんで。

(ビールは毎日飲んでたけど。メキシコの太陽の下で飲む味は最高。)

「外国」にいるって気分がするよねぇってエイリーと話し、
いつの間にかアメリカは「外国」ではなくなってたことに気付き。

自分がどこか場所や空間を、異・国;異文化と感じるのは
何がきっかけでなのだろうと考え。

見慣れない風景、自分の「当たり前」が「当たり前」でない時、、、

メキシコで異文化圏にいるんだなぁと感じたのは、言葉が
通じなかったってのが大きい。

だとしたら、言葉が通じて、理解出来るアメリカは、
どうして「外国」だったのだろう、いつごろから「外国」で
なくなったのだろう、なんて考え。

日本語(を理解し、語る)力が衰えてきているのを
実感している最近、また日本に戻った時、また日本で
カルチャー・ショック感じるのかなぁと。

にしても、「言葉」って側面だけ見ると(他の面でもかも
知れないけど)、日本って国は、本当に理解するのが
難しい文化だなぁと。

語りの言葉は、漢字とひらがなとカタカナがあって、
異文化のモノはずっとカタカナのままで表わされて、

でも語りの言葉なんて、そんなに重要じゃなくって、
実際の語られる言葉より、何が語られないかが重要な文化で。


そういえば、タスコに行く際にはタクシー乗ってみて。
この可愛らしい白のVWビートル。

ぼっこぼこの石の道の、
信号機のない、
坂道だらけのタスコの街を運転するの、すごいよ。

運転免許取ってたとしても、絶対タスコの街で運転する
ことは初めて運転するのと同じぐらい難しい体験だと思う。

Monte Alban, Oaxaca



オアハカ2日目は、メソアメリカ文明の遺跡、モンテ・アルバンへ。

オアハカの中心街からバスで30分ほど、山を登っていきます。

(Monteモンテ、山の上にあるの。)


「天にいちばん近い場所」として知られていたとか。

ほんと、神様に色々捧げるのに、神様の力・存在を感じるのに
絶好のスポットだなー感じた。

あ、テオティワカンも、ピラミッドとして表わされているけど、
どっちもお墓ではないです(エジプトみたいに)。

どっちもお寺;お祈り・礼拝の場所みたいな感じ。

山の上で見晴らしは良いし、広々としていて、何より人が
少なくって静かで、エイリーとボーっと2時間ぐらい過ごし。


モンテ・アルバンのミニチュアや麦わら帽子を
売ってこようとするおっちゃんたちが、
あんなたちが休憩していた木(陰)の近くに生えてた
植物から、何かをもぎ取って食べてるのを見て、気になり、
見に行ったら食べるか?ってあんなにもくれた。

(エイリーはそれを見ながらマジで何でも
食べちゃダメだよ!って軽く引いてました。)

食感は金柑のあとに、ザクロのつぶつぶが来る感じ。
味は何だろう、すっぱ甘い梨みたいな。
名前は忘れちゃった。

午後は再び、前の日とは違った、街のエリアを散策。



市場でバッタも食べてみました。
にんにくと唐辛子と揚げてあるのみたいなん。
クリスピー。

エイリーにお肉じゃないべ?って食べてみなよー言っても、
肉じゃなくっても食べないよ言われ。


夜は中庭っぽい感じになってるレストランで、
写真撮らなかったけど、Fajitaファヒータ的な何かを注文。

(と、モヒートも。)

巻く具の一つは、サボテンのグリル!
食感はヨーグルトに入ってるアロエみたいな感じ。
ってサボテンとアロエって、似てるもんね。兄弟とかだろうね。
味も、特に独特の濃い味はなく。ズッキーニみたいな。


半オープンカフェみたいな感じになってるレストランだったんだけど、
路上でビーズのネックレスやら、色々売ろうとして来る
子どもたちが超自由に、レストランの中に入って来るんだよね。

で、テーブル一つずつ回るの、買わないか買わないかって。

店員はそれを見て、追い出すのだろうか?思ったら、
全然ほったらかしどころか、子どもたち、疲れたらバーに
行って水ちょーだい言って、普通に水もらって、
レストランの隅っこで休憩してた、、、

自由ってか、寛容だなぁと。

その日の夜も、前の夜訪れたバーへ。

今度はメキシコ・シティで知り合ったフランス人と
カナダ人3人組みと!

一人のリヨン出身者は世界一周の旅スタートしたの、
日本で、も一人のリヨン出身の世界一周人は
終わりが日本なんだって。8月に来るとか!

メスカルって言う、テキーラより強いお酒のショットに挑戦!
一気に飲んで、塩舐めて、ライムかじって。
3杯目ぐらいで一気に熱くなる。

そのあと瓶ビール2本ほど飲んで、
ホステルに戻り、就寝。

書いてたらビール飲みたくなったわ。

そういえば、この前納豆巻きを作りました。

エイリーもマリーも気に入り、一口食べて
終わ(ってくれ)るかと思ったら、次々と食べられ。

日本人でも臭いって言って食べない人もいるから、
好きじゃないと思うよ、、、言っても、エイリーはベジタリアンで、
Natto納豆のことをfermented soy beans大豆を発酵
させたのだよって言うと、大豆ってだけで(分かんないけど笑)、
テンション上がり、食べてみたーい♥って。

負けじとマリーも、アタシも試す!って。

けっきょくマリーお気に入り。
まだ納豆のパック残ってる言ったら良かった!って。

やっぱり気に入られて嬉しい、愛国心じゃないけど、
愛<日本料理の中でも納豆>心。

(愛国心なんだろうなぁ、怖いなぁ)

あんなは東京に戻ったらいくらでも食べられるから、
また食べさせてあげたいなー思うも、
もう一度、熱々のご飯と食べたいんだよなー思ったりと。

2010年3月26日金曜日

Oaxaca



メキシコ3日目。

早朝6時前に到着、とりあえず大きなバックパックを
置きに、ホステルへ。


オアハカで二泊した、Paulina Youth Hostel。
シャワーとかもとてもキレイで、白い作りがステキだった。
朝ご飯をいただくラウンジスペースの横が中庭に
なっていて、とても開放的で。

6人部屋でトイレ・シャワー共同、
生フルーツとHuevos Rancherosって言う、
トルティーヤに卵をぶっかけて、焼いた、
メキシコのポピュラーな朝ご飯・卵料理が付いて、
メキシコ・シティで滞在したホステルと同じぐらいの150ペソほど。

メキシコ料理で、Mole Negroモレ・ネグロっていう、
鶏肉とかを煮込む、主にカカオと、何種類ものスパイスを組み合わせた
黒いソースがあるのだけど、オアハカが発祥の地なの。

そんなワケで、オアハカはモレ・ネグロやチョコレートの
お店が街のいたるところにあります。


エイリーとあんなも、着いてまずはチョコレート!ってことで、
Chocolate Mayordomoってチョコレート専門店へ。



お店でチョコを作ってるから、お店の中はチョコの
しあわせな匂いでいっぱい。


注文したホットチョコレート、一杯15ペソ(150円)!
暑い中でも、濃い味のホットチョコレート、美味しかった。

一緒に甘いパンがついてきます。
フランスでクロワッサンをカフェオレにつけて
食べるようにして、飲むのー。

まずは市街を歩きまわり。




道端で揚げてるチュロス。
でもディズニーランドのチュロスのが、クランチーで好きかも。笑


午後はオアハカ郊外にある、世界最大の木、Tule Treeトゥーレの木を見に。

collectivoって言って、道端で同じ方向に行く人たちと、
一緒にタクシーを乗って行くシステムがあるんだけど。

なんとココで日本人に遭遇。
30代の女性で、2年ほど世界を旅しているそう。
ターコイズのピアスして、黒髪(重要!)ふわふわパーマロングヘア、
ストール巻いて、『地球の歩き方:メキシコ』抱えて(『個人旅行主義』
シリーズではなかったのがちょい意外)、
モデル日本人※Bo(urgeois) Bo(hemian)。

※元はフランスのマーケティング用語で、
良い教育を受けていて(大卒以上)、受けることの出来る
余裕のある家柄出身でも、コンサバで(政治的にも文化的にも)保守派って
ワケではなく、海外旅行に行くって言ったらハワイやClub Medで
ビーチリゾートへ、ではなく、南米のエコツアーに行ったりする感じ。
高級ブランドを身に着けていても、「このバッグはシャネルのだけど
ママのお古なのー」、「アルマーニの革ジャンだけど、
ヴィンテージだからー」って語る感じ。添加物がなくって
野菜本来の味がしてオーガニック野菜は美味しいですかそうですか
オーガニック野菜を日常的に消費する余裕が
あって良かったですねな人たち。

(そしてあんなはバリバリ、BoBo人口に当てはまります。)

日本人女性、話してみるとオアハカでは日本人宿に滞在
していたそうで。
オアハカ、観光地っちゃぁ、観光地だけど、それほど海外からの
旅行者、ましてや日本人にとってポピュラーな旅先ではないだろう
思ってたから、まず日本人旅行者に遭遇しびっくり、
日本人宿まであることを知りびっくり。

エイリーと話していて、やっぱり、「英語ぺらぺらなんですね」言われ。
めんどくさいからアメリカの大学に通ってるんですよー答えて。

30分ほどしたら、タクシー到着?
世界でいちばん大きな木なのだから、ジャングル、
もしくは山の中に入っていくのかな思ってたら、ぜんぜん、
ふっつーーーの、お店や屋台が並んでいる、小さな街に到着。

Tule?って確認しても、うんちゃんSi Si言って、あっちの方に
行ったらみたいに指差すから、まぁ、とりあえず歩いてってみるかと
歩いてったら、もう、すぐ目の前に大きな木が。


どーんっと、教会の横に。

大きいってだけで、屋久杉を思い出す。
でも屋久杉のが、こう、ジャングルの中にあって、もっと神聖な
感じがしたなぁ、、、


トゥーレの木は、見物料払わなきゃだったし(50円ほどだけど)、なんか、
大きくって、わぁ、ってなって、よく保存されてきたなとは思っても、
屋久杉に感じられたような、神々しさはそれほど。

とりあえず見物し、周りの屋台をちょいちょい見て、
マンゴー買い食いしつつ、帰りのタクシーを待つ。

(30分ぐらい乗ってたけど、片道8ペソ、80円とか!)

オアハカの市街を更に歩きまわり。



夜は街の中心のZocaloゾカロ;広場を見下ろせる、
Casa de la Abuelaって小洒落たレストランへ。

オアハカはQuesoケソ;チーズでも有名で。
Queso Oaxacan、味はモッツァレラみたいで、とても美味しかった。


注文した、さぼてんの花とオアハカンチーズを挟んだ
Quesdaillaケサディヤ。うまし。



夜はまたまた音楽の生演奏やってる、ちっちゃなバーへ。

右の太鼓のおじさんがイケメンで(なんだって主観的なんだから)、
ガン見してたらビールおごってくれた♥

サルサ踊り出す客を見ているのが楽しかったんだけど、
一人、超、Theラテンマッチョな男性がいて、
日焼け、てかり、ピタTシャツ、ワックスでかためられた
髪の毛、、、マッチョさ具合にエイリーと二人で爆笑。

ココで飲んだモヒートがなつかしい。