先学期、抵抗の文学として詩を書いていた
授業(まだAnnaちゃんに送ってない、、、うー)で
一緒になって、今学期もクィア理論の授業を一緒に
履修しているJacksonってお友達がいます。
もうすぐ卒業の4年生。
卒業したら院試の勉強をしながら、ワシントン州の
公共政策をもっと一般の人に理解してもらったり、政治活動の
啓発運動みたいなのに関わったりするそう。
去年の夏ボーイフレンドと結婚したばっかり。
今は学校のEducation Access Coalitionって言って、
教育の機会の不平等さ、大学の予算カットや民営化を
問題視して、デモやら勉強会やら色々やってる団体の
代表として活動してるんだって。
それでその団体のワシントン州の議員さんや、学校の教授らを
交えてのシンポジウムで、あんなも書いた詩を
発表しないかってお誘いが来ました。
で、発表してきました@昨日4/7はEducation Access Day。
会場はそんなに大きくなかったし、100席ほどあった部屋の、
7割ぐらいが、埋まってたかな?そんなもん。
公けの場で自分の詩を読むなんて、なんてなんてなんて。
でも勉強するにつれ、いかに自分が感じて学んだことを
言語化するにしてもしないにしても、なんらかの方法で公けに
すること、自分の経験を語ることの重要性(と、他者のものがたりも
しっかり聞くこと)を実感するようになってきてたのもあって、
語る場が与えられたのだから、って思い、読んできたよ。
聞けて良かったって知らない人に言ってもらえたり
するのは、素直に単純に嬉しいなー。
で、来週には論文を発表させてもらうの。
interracial relationships異人種(恋愛)関係の表象と、
その関係の物象化について書いたの。
コレはクィア理論の先生に誘われて。
こっちは学生と大学教授が発表するの。
小規模なのかと思ったら、パンフを作ったり、色々と大変そう。
(大変さでスケールの大きさを測るのは違うかもだけど)
一年間を通して学んできた、たくさんのことを発表する
機会が与えられて、なんか、嬉しいんだなぁ、恵まれてるよなぁ。
アイシユだけなのか分からないけど、日本の大学は学生が
発表する機会、相対的に見て少ないように思う。
卒業論文をそもそも書かないで卒業出来る大学も多いみたい。
だから超厳しいし、卒論発表会は泣かされる人続出・公開処刑だとも
言われてぐらいだけど、K先生のゼミは学生が発表する
場所があって、K先生はそれを大事にしていて、好きだなー。
発表せねばってなると、批判されることに自分を晒すワケだから、
すんっげえ頑張るし、どういう批判が来るかってとこまで考え
させられるから、自分の書いた文章を客観的に読み直して、
書き直そうってなるし、公けにすることはやっぱり、重要なんだな。
自分の勉強してることを公表する意義として、情報シェアだとか
何とか言う人もいるけど、その重要性は、よく分からん。
人の発表してることには興味ないのかってワケではなく。
人が何を見て感じて学んで、どう考えて、ってのを聞くのは楽しい。
そんな視点があったのかー、同じことを経験してたのに、
そうやって解釈したのね!ってのに、ワクワクする。
ただそれを、お前も同じように重要な情報だと思え!って、
シェアし隊(たい)から要求されているようで、抵抗があるのだと思う。
自己満足のために勉強して何が悪い!とまでは、思ってても、
まぁ、それだけじゃダメだよ言われるのも分からなくないから・社会性の
重要さもあると思うから、言わないけど、オレが今研究してることって
革命的かも!って気分に酔いしれてる人を見ると、なんか、うへえなる。
この研究は革命を起こす!って言われても、
マルクスも毛沢東も出来なかったのに、なんなんだどこからその
自信とやらは発生してるの?!ってツッコミたくなってしまうんだよ。
そういえば大学のお知らせに今年度から、土日も
本館や図書館を開館します・開館時間延長しますと。
きっちり閉館して、セキュリティがっちがちになるのか思ったら!
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