Well, son, I'll tell you:
これだけは覚えておいてちょうだい:
Life for me ain't been no crystal stair.
ママが辿ってきた道だって、決して平らなモノではなかったってこと。
It's had tacks in it,
釘が刺さってたり、
And splinters,
破片が落ちていたり、
And boards torn up,
床がめくり上がっていたり、
And places with no carpet on the floor-
何にもないところだってあったんだから―
Bare.
何にも。
But all the time
それでもいつだってね、
I'se been a-climbin' on,
進み続けたんだよ
And reachin' landin's,
新しい土地に着いては、
And turnin' corners,
新しい角を曲がってみて
And sometimes goin' in the dark
たまには暗い通路や
Where there ain't been no light.
先の見えない方へとも進み続けていったんだよ。
So boy, don't you turn back.
だから振り返ったりするんじゃないよ。
Don't you set down on the steps
座り込むんじゃないよ
'Cause you finds it's kinder hard.
座り込んだってキツイだけでしょ。
Don't you fall now-
つまづくんじゃないよ
For I'se still goin', honey,
ママだってまだ止まっちゃいないよ
I'se still climbin',
ママだってまだ進み続けているじゃない
And life for me ain't been no crystal stair.
ママが辿ってきた道だって、決して平らなモノではなかったのだから。
Langston Hughes
(同時通訳のスピードで訳してみたから大目に見て。師匠のH先生流、意訳です。)
日本時間では今日は、ママの誕生日。
(先学期知った、Essex Hemphillも今日です。90年代に
AIDSで亡くなってるけど、、、泣)
留学していて何が辛いかって、友達に助けを
求められたりした時に、すぐに駆けつけて、あげる
ことが出来ないこともだけど、
こう誕生日とか、幸せを分かち合って、一緒に
嬉しいことをお祝いすることが出来ないのも、寂しいよね。
やっぱり一人だと、美味しい食事にも消極的になっちゃって
行きづらいし、一人で行っても、それを誰かと
共感出来ないと美味しいものも、それほど美味しくなく
感じちゃうし。
(普段から単身赴任中のパパはどうなんだってハナシに
なるよねぇ、、、パパごめんねぇ。)
ママ、お誕生日おめでとう。
今日はダイエット忘れて、美味しいもん食べな!
あんなが帰ってきたら、また一緒に美味しいごはん行こうね!
---
そして今日はあんなが人前で初めて自分の勉強してきた
ことを発表する日です。
(こっちの時間だと明日になるけど)
ママの誕生日と重なって、なんか嬉しいなぁ。
誰かの為にってなると、けっきょくは自己満足でやっている
だけなのに、おこがましく聞こえちゃうけど、自分の経験として、
自分にも関わる問題として、あんなが勉強する動機の一つには、
ママの経験があるから、ってところはある。
つっても、戦争体験とかを語り継ぐような動機とは、
あんながママの経験を語りたい思うのとは、全く違うように思う。
単純にあんなを深く深く愛してくれて(たまには
重く感じることもあっても)、あんなの為に何があっても、
どんなに不安でも、走り続けてくれている、何が
あっても許してくれている、から、
ってなもんだよ。ただのマザコンとも言える。笑
ママの経験してきたことを考えると、
Spanglishを観たり、Rey Chowの本を読んだりした時に感じる、
まだまだ勉強することはたくさんある、
道のりは長い、
じゃないけど、
ああ、まだまだ社会は複雑で、自分の、ママの経験だって語る
言葉さえまだまだ十分じゃないのにって、考えさせられて、
もっと勉強しなきゃって気持ちにつながるのです。
チカーナの母親Floreや、自分のママの様な経験をしてきた、
している、出来るだけ多くの(それぞれの母親が経験してきている
ことなんて違って、universalize一般化するつもりはないけど)
母親たちの強いられてきた決断や、悩んでいることを、
言葉にしたいにも、言葉にし辛い経験を、
社会全体で覚えておかなければいけない・共有されるべき
問題っていう意味で、publicize and politicizeって意味で、
言語化・可視化し、語り継いでいく作業に、少しでもあんなの
研究が意義あれば、それはとても嬉しいことだな、思う。
なので、勉強し、考える原点でもある、ママの誕生日に
初めての論文発表が出来ることは、とても個人的には
symbolicで、緊張するけど、語るしかないって、
思い出させてくれて、幸せだな、と改めて実感しているのです。

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