(メキシコ日記、まだまだつづくけど。)
ミルク入ってない、アメリカンとか注文すると、必ず
"Do you want room for milk and sugar?"
って、
どこまでコーヒーを注げばいいかを聞かれる。
日本だとミルク入れたくっても、決まってたっぷり
注がれて出されるから、まず濃いコーヒーを少し飲んでから
でないと、ミルク入れたくっても入れられない。
単純にアメリカのがコーヒーを飲む習慣が定着していて、
それ故の気遣いとしても見れるかも知れないけど、つったって、
日本でもコーヒー、アメリカンやエスプレッソやらと、種類が
豊富になってきたのは最近かも知れないけど、どこの喫茶店行ってもあるし。
このアメリカのカフェにおける、コーヒーに
ミルク入れるかどうかって問いは、
「アナタはどうやってコーヒーを飲みますか?」
≒
「アナタは自分なりのコーヒーの飲み方がありますか?」
って問いかけているのだと思う。
そしてコーヒーの飲み方にしても、私の好み、
私の飲み方ってのがみんなあるのを、
想定すると共に、自分のスタイルみたいなのを確定して
持つことを促し、称賛する文化;個人主義の表れのように思う。
コーヒーに入れるミルクが置いてあるカウンターには、
普通の牛乳に、低脂肪乳、無脂肪乳(Non-fat milk、、、どう処理され
加工されてるのか、想像したくもない)、豆乳、生クリームと、
何種類ものミルクに、
砂糖も普通の砂糖に、黒糖、パルスイートみたいなん、
他にもバニラパウダーやシナモン、、、
「自分流」のコーヒーを作って下さいなって言ってる感じじゃない。
こうやって考えてみると、コーヒーをカスタマイズする
カウンターがあるのって、スタバぐらいじゃない、日本って。
ドトールとか他のコーヒーショップは、せいぜい砂糖と
クリームぐらいでしょ、置いてあるの。
最近はラテとかにキャラメルソースかけるの流行るように
なってきたけど、シロップやショット追加したりする文化も、
日本だとスタバとかぐらいな気が。
ってどっち道、シアトル発祥のスターバックスが先駆けなのだけど。
"small talk"いちばん近いのは、井戸端会議なのかもだけど、
タクシーのうんちゃんや、喫煙所で一服している人同士と
交わされるコミュニケーションのことを表す言葉。
特徴なのは、知人との会話でもあるけど、たいていの場合は
他人や、あまり知らない人同士で交わされるってのと、
THE他愛ない(会話)内容。
カフェでミルク入れるかどうか聞かれるのは、
small talkの文化、積極的に言葉を交わすことを重要とする
文化の表れでもあるのかも知れないけど。
スタバとかで、超早口で呪文みたいに
"non-fat, double shot, hazelnut latte to go"
みたいに注文してる人を見ては、アメリカンなカッコよさを
感じてたのは、そのすらすらとめんどくさい注文が
言えちゃうところに、my mornings have to start with this毎朝
同じのを同じ場所で同じように注文してるの、私の朝はコレで決まる、
コレが私を作っているの、私のflavor好みはコレ、みたいな
意識の表れのように感じているからだろうな。
ペーパー書かなくっちゃいけないってのに、
コーヒー注文して聞かれた一言からぐだぐだと考え事。
明日の政治学の授業のために、アメリカ文学勉強しています。
高校時代以来です。楽しいー。
読んでいて感じるのが、本当に社会主義を「悪」だと思っている文化なのだなーと。
Moby Dick書いた、Herman Melvilleの"Billy Bud"って作品を読んでいるのだけど。
Billyって青年のBellipotentって船での人との出会いや葛藤を描いた作品。
「船」は覇権的な社会や、法;国家の記号として働いていて、
"Billy"はそれに立ち向かっていく、「個人」を象徴しているの。
Self vs. Societyって言う、超アメリカンな二項対立。
ほんと好きだよねー!
面白い思ったのが、そのBillyと一緒に船に乗り合わせている他の船乗りと、
Billyとの間には、信頼関係っつーか、友好的な関係が築かれないこと。
船と、船の掟や、船長には不満を感じるし、
周りのヤツらは信用出来ないって状況にいるBilly。
同じ船乗りって身で、同じ階層の者同士、ほら、
プロレタリアート文学代表、小林多喜二の『蟹工船』みたいに
集って、対抗するパターンには、ならないんだな。
ま逆で、船乗り同士、お互いのこと全然、信用してなくって、
絶対お前ワルだろ!どうせ裏切るんだろ!ってなぐらいに思ってて。
アメリカの個人主義って、社会主義への恐怖心からってのも、
あるのかなーなんて。
0 件のコメント:
コメントを投稿