おじいちゃんと金髪の若者、二人もひょっこりひょうたん島の博士のメガネ。
井上ひさし氏へのトリビュートなのか、スコット。
そしてそして、東京、もっとオシャレな人いるでしょー!
通訳の先生にもらったのだけど、井上ひさしの言葉で、
「むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに」
って言葉は、好きってか、通訳している時でも、何か書いている時でも、
重要なのは、内容・何を伝えるかではなく、
どう伝えるかなんだなーって、思い出させてくれる言葉。
実際、通訳で言語能力の重要さ・役割りなんて、20%未満なんだって。
あとの80%は、いかに伝えるか、パッケージであって。
良い通訳とは、どれだけその言語が話せるかだけでなく、相手に
分かりやすいように伝えられるかどうかで決まる。
あらためて考えてみたら当たり前なのだけど、ね。
帰国が迫りつつある最近、盛りだくさんです。
ちょっと前にEducation Access Coalitionのシンポで発表した
詩を、先生に褒められ、ココのWomen's Studiesの学部の賞に
応募したらー?言われたから、応募してみたら、
なんと、賞もらっちゃいました@ちゃっかり奨学金まで。@$50とかだけど。
Creative Achievement Awardで、
In recognition of exceptional achievement in creative, artistic, and personal expression contributing to Women's Studies Scholarship.
だって。
嬉しいねぇ、書いてみるもんだね、投稿してみるもんだね。
おセンチ過ぎて恥ずかしいのだけど、
先学期の抵抗の文学の書き方を教えてもらった授業を
受けていなかったら、
その授業での色んな他の学生との出会いがなかったら、
11月にボストンで会ってもらったI先生に、誰かの存在を不可視化して
しまっているのではないかって常に考えるのも重要なことだけど、
自分の与えられている機会は使うべき「特権」として理解して;与えられているものを
利用して進んでいくんだよって、背中を押してもらうことがなかったら、
ワルシャワで勉強しているAnnaちゃんみたいにストレスで落ち込んでいる
時に、優しく気にかけてくれる、尊敬出来る先輩がいなかったら、
先学期の先生と、今学期の先生に語るんだって、いっぱいいっぱい、
自分の勉強していることを発表していくんだよって教えて励ましてもらうことがなかったら、
(そして何度も何度も、書き直しのプロセスに付き合ってもらい、、、)
今ココで、勉強させてもらう機会に、
それを許してくれて、応援してくれる家族に恵まれて
いなかったら、ありえなかったワケで、
その偶然に偶然が重なって、賞をもらうまでに至ったことを
考えていると、幸せもの過ぎて、一緒に賞もらった、先学期から
ずっと一緒に勉強してきているアリーとほろり泣いてしまい。
アリーも超アメリカンなギャルなんだけど超勉強家で、
アメリカ共和党のSarah Palinとかに見られる、保守的ってのかな、
アンチ中絶の語り(最近は子どもが産まれる前に、「障害」を
持って産まれてくるかどうか検査すること出来るじゃない)を、
障害(者)理論×クィア理論的視点から批判をした論文で賞をもらっていたよ。
あんなの幸せをいつも思っていてくれているママにも後から
伝えて、喜んでもらえて、嬉しかったなぁ。
今日はおばあちゃんからお手紙が。
「あなたが詩を朗読したり、論文を学会で発表したりすると書いてあって、
私は本当にうれしくて涙が出そうでした。私の夢をあなたが実現して下さった
みたい。いつかその詩や論文を読ませてもらいたいと思いました。」
夢を実現させてもらっているのは、あんなの方なのに、
おばあちゃんにもそれを喜んでもらえて嬉しいなぁ、と。
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