2010年1月21日木曜日

まいにち書くものだから、

少しでも寝る前に書こうと。

今日は院の授業のアメ史講読。

『想像の共同体』とナショナリズムを元に、ディスカッション
だったんだけど、3時間があっちゅーま。

まず自分が個人的に、「自分の国」を意識した経験を
思い出してみようってエクササイズから始まり。

あんなの「自分の国」として意識している国は特に
決まってなくって、時々によって変わるのだけど。

「日本」を自分の国として考えてみると、やっぱり日本を
離れている時の方が、日本国家と自分の関係を意識するかなぁ。

あと旅行中ってか、どこにでも旅行に行ける時、
日本国籍であることの特権を感じる。

でもだからって、日本人の人とだと、必ず共感出来る
みたいなんもないし、国家単位で考えるだけだと、どこの
「国家」の人とも、ぶっちゃけfullyには共感出来ない。

アメリカの大きな州立大学にて、「マイノリティ」の立場を日本人として
経験しているからって、同じような立場にいる他の
日本人の留学生たちと何かを共有していたりする、
みたいな意識ってのは、ぶっちゃけない。

ああ、あんなの場所ってココなんだなぁって強く感じたり、
強く共感出来たり、「同族意識」みたいなのを感じたりしたのって、

"Spanglish"って言う、カリフォルニアに移住していく
メキシコ人親子の映画を観た時とか、

親にこっちの日本人の留学生たちに無視されたー!って言っても、
あんなが悪いんでしょって理解してもらえなかった時、
高校時代の友達たちには何も語らなくても、辛さが理解してもらえた時とか、

自分の周縁化されていたとしても、とても特権的な
立場にいるってことはどういう意味なのかについて考えるために、
Rey Chowの"Writing Diaspora"を読んだ時とか、

なんか、ぐちゃぐちゃと何が言いたいのか分かんなくなって来たけど、

でもその「同族意識」みたいなのをいつ感じたかとか考えてみると、
ずーっと、ちっちゃいころのことから考えると、
あんなは東京の今の大学を、あんなの「ホーム」として、呼べる。

そりゃ「所属」することによって誰か他の人を排除している
可能性とか色々あってとても危険なことでもあるのだろうけれど、

それでも個人的には、とても素晴らしいことで、あんなは
やっぱり、すごい恵まれてるんだなぁ、と。

素直に何でも好きって言えちゃうことって、なんか無批判な
感じでどうなんだろうと思うと同時に、やっぱり、
あんなは素直に大学が大好き。

ってのを、再実感出来た授業でした。ちゃんちゃん。

じゃなくって、笑

他にも、個人と国家との関係と、ナショナリズムはどうやって
形成されるのかみたいなハナシをしたんだけど。

ある国家に対して、全く、何の関係も持たないことは
出来るのだろうか、みたいなハナシになった時に、

一人のインド人とアメリカ人のハーフの学生が、

「例えば山の中に山小屋を一人で建てたとして、、、
一人でそこでひっそりと住んでいたら、、、」

みたいに、話してた時に、隣りにいた黒人のアメリカ人が、

(とても差別的なのかも知れないけど、他に自分の中で分かりやすい
表わしようが見つからない)

「いやそれ、アメリカの個人主義のイデオロギーに超影響されてるし。
ってか何Thoreauソロー(Existentialismの人)気取ってるんだよ。笑」

言ってて、面白かったってか、おお!ってなったツッコミだった。

うん、オチも何もないけど、今日の振り返りおしまい。

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