シアトルのフリーモントFremontって地区にあった可愛い古本屋さん、
Ophelia Booksのウィンドウ。
シアトルに三連休中行ってたのだけど、移動中、この間亡くなられた
サリンジャーの"Franny and Zooey"『フラニーとゾーウィー』読みました。
true confessionsココだけの話、初サリンジャーです。
前半は妹のフラニー、後半はお兄ちゃんのゾーウィーと
フラニーの二人って感じで、200pg程度の短い作品。
フラニーは、何事にも意味を求めているうちに
ボーイフレンドとは喧嘩し、ごはんも食べれなくなっちゃって、
寝込んじゃう女子大生。
アイビー・リーグでラルフ・ローレンなボーイフレンドと
彼の愉快な仲間たちがとても不愉快で。
役者でお兄ちゃんのゾーウィーはそんなフラニーに、
おめーにとって意味はなくっても、だからって価値のないこと(行為)になるのか?
ものごとに意味ばっか求めててどうするんだ?って、
見返りを期待しない、求めない態度、かな、
について話すの。
祈るなら、そうやって祈れって。
"...that fat lady...it's Christ Himself....."
こう書いてると、とてもなんだろう、アメリカのプロ倫が
表れているのかしら?って感じに思えるかもだけど。
なんだろう、ゾーウィーがフラニーに「意味」なんてくそくらえだ!、
「意味のないことばっかやってる」周りの友達たちを見下して
おめー超生意気なんだよ!って言ってるのは、
ゾーウィーがクリスチャンで、無駄なことなんて一つとしてなくて、
何事にも意味があるって思ってるワケではなく、
逆に、ゾーウィーはガチでものごとに意味なんてないって思ってて、
それでも、so what?みたいな感じで、それでもラジオ番組に
出るためにでも、靴をキレイに磨くんだって、
フラニーにさっさと人生なんて意味のないことの繰り返しなんだって
気付けよって、
意味のないことの繰り返しだけど、意味があるように
振る舞うことこそが、重要なんだって、
ゾーウィーは思ってるからなのかなぁって感じた。
(ついでに、そうやって意味があるかのように振る舞うのに
必要なのは、that fat lady程度で十分なんだって。)
"we are fated to pretend"なんだって(MGMTが最近大好き)。
ものごとには意味があるんだって態度を装ってないと、
そうでもしないと、
森の中に籠りに行っちゃったお兄ちゃんや、
自殺しちゃったお兄ちゃんたちみたいに、おかしくなっちゃうから。
(ああ、ゾーウィーが役者なのって、ゾーウィーは
役を装うことを仕事としているってのも、あったのかなぁ。)
宮台真司の『美しき(と思われる)少年の理由なき自殺』に
出てくる二つの世界観、
「人生には意味がない。でも楽しい。」
「人生は楽しい。でも意味がない。」
ってのを思い出した。
(宮台嫌いだけど。)
ゾーウィーは「人生には意味がない。でも楽しい。」派で、
自殺しないで済むタイプ。
たぶん、キリスト教でもイスラームでも仏教でも、
宗教って人にものごとには意味があるんだって信じさせるために
役立つし良いよねーって思ってるんじゃないか。
妹のフラニーが可愛くって、フラニーにおかしくなって
欲しくなくって、、、
太田の『フラニーとゾーウィー』の解釈。
「未熟」さ、か。
他にもこの一家の兄弟について書かれたのあったの知らなかった!
読もうー。
---
こっちに来る時の一つのテーマに、
「アメリカの文学をアメリカの土地で経験*しながら、アメリカ文化の理解を深める」
ってのがあったのだけど。
*"expose myself to"を意訳したつもりでの「経験」。日本語オカシイノソウテイナイヨ。
前から読みたかったユダヤ系アメリカ人のGrace Paleyの短編集と、
黒人でゲイの詩人のLangston Hughesの詩集と、、、
思い出せる限り、その程度しかアメリカ文学読んでません。
ああ何してるんだろうねぇ。
(だいじょうび、まだ三カ月あるっぴ!!!)
ガルシア・マルケズ読んだり、
夏目漱石読んだり、
村上春樹読んだりしてた。あれれ。
0 件のコメント:
コメントを投稿