すごい大変な今学期。
アメリカ政治思想史はピューリタンの思想を見たりしてるとこ。
どうアプローチすれば良いのかが分かんない。
文献読んで、それがどうアメリカのリベラリズムとか個人主義とかの
表れかを、見るんだと思うけど。
イギリス・ヨーロッパの思想の影響を受けていても、
やっぱりアメリカの政治思想の形成?に大きく影響してるの、
無限に広がる、誰にも支配されていない(と思われていた)
「土地」ってあると思う。
そこらへんのことについて、書きたいかなぁ。
クィア理論の授業も、「土地」ってか、「空間」が気になる。
公・私に分けられている空間について、、、
色んな階級・エスニシティ・ジェンダーの個人同士が
交わる、「クィア」な都市空間、
でも監視とか(ミシェルの)、まなざし(の有無)の視点から
考えると、すごい窮屈で、
何もかもを消費しているだけかも知れない、
たくさんのモノを排除することによって成り立っているって
言う風にも考えられる、都市空間、、、
アメリカ史の授業も、ナショナリズムとか、市民権?citizenshipに
ついて勉強してるんだけど、コレも、都市空間を見たいかなぁ。
それがね、TOKYOについて書かれている、
こんな記事をあいりん経由で見て。
まぁ、TOKYOシックになったのはおいといて。
このサイト、TOKYOの他に、
バンコク、香港、ムンバイ、上海、シンガポールに
関する記事もあって。
で、どれも"City"ってなってるんだけど。
香港とシンガポール、どっちもちっちゃい国(家)だし、
シンガポールとかcity-stateって表されている時も
あるけど、"City"じゃなくって、国家だから!
って気になって。
で、他の東京、バンコク、ムンバイ、上海、、、について、
考えて見た時、これらの都市って、その国全体との格差が
すごい激しい都市だよなぁ思い。
(都市が魅力的≒国家全体における格差が激しい?)
出来れば、都市空間で暮らす人の、「国民」としての意識とか、
んーよく分かんないけど、授業で出てきたテーマで、
国家と市民権を、どの様に解釈していくかで、
"flexible citizenship"ってのが、出てきたんだけど。
外交官とか、政治的・経済的権限?が与えられている
人たちって、もしかして"flexible citizenship"ってのがすでに
与えられているのでは?って思い。
そういう人たちで、更に都市空間で暮らす人の、国家との関係とか。
どうして都市が重要かってのは、例えばホテルのHoliday Innとか、
東京のでもバンコクのでも、全く同じ「価値」が提供されていて。
(都市なら)どこにいても、何でも、同じものが、
手に入るって感覚が気になるの。
都市間で、「価値」が普遍化されていってるのがあると思うの。
そんな価値観を持った人たちの、ナショナリズム、みたいな。
比較公共政策の授業は書いたっけ、
アメリカの環境問題に関わる公共政策を担当することに。
でもアメリカの「環境問題に関する政策」って名の下で、
移民(問題)に関係している政策が、たくさんあって。
そんな感じ。
おじいちゃんたちにバレンタインデーのチョコを贈るのと、
もうすぐ卒業の10の先輩たちにもカードを書いてて、
アイシユの図書館が恋しくなったり。
今週のアメリカ史の文献で、「ハーフ」の子どもの存在が
扱われているんだけど、「ハーフっていいなぁ」って、見た目だけで
言ったりするのって、すごい暴力だなぁと今さら思い。
あと今月号のCOURRIER JAPON読みたい!!!
堤未果さん美人ー。
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