2010年2月10日水曜日

おべんきょ。

ガツガツ勉強するヒマもないぐらい、課題が
すごい大変な今学期。

アメリカ政治思想史はピューリタンの思想を見たりしてるとこ。

どうアプローチすれば良いのかが分かんない。

文献読んで、それがどうアメリカのリベラリズムとか個人主義とかの
表れかを、見るんだと思うけど。

イギリス・ヨーロッパの思想の影響を受けていても、
やっぱりアメリカの政治思想の形成?に大きく影響してるの、
無限に広がる、誰にも支配されていない(と思われていた)
「土地」ってあると思う。

そこらへんのことについて、書きたいかなぁ。

クィア理論の授業も、「土地」ってか、「空間」が気になる。

公・私に分けられている空間について、、、
色んな階級・エスニシティ・ジェンダーの個人同士が
交わる、「クィア」な都市空間、

でも監視とか(ミシェルの)、まなざし(の有無)の視点から
考えると、すごい窮屈で、

何もかもを消費しているだけかも知れない、

たくさんのモノを排除することによって成り立っているって
言う風にも考えられる、都市空間、、、

アメリカ史の授業も、ナショナリズムとか、市民権?citizenshipに
ついて勉強してるんだけど、コレも、都市空間を見たいかなぁ。

それがね、TOKYOについて書かれている、
こんな記事をあいりん経由で見て。

まぁ、TOKYOシックになったのはおいといて。

このサイト、TOKYOの他に、
バンコク、香港、ムンバイ、上海、シンガポールに
関する記事もあって。

で、どれも"City"ってなってるんだけど。

香港とシンガポール、どっちもちっちゃい国(家)だし、
シンガポールとかcity-stateって表されている時も
あるけど、"City"じゃなくって、国家だから!
って気になって。

で、他の東京、バンコク、ムンバイ、上海、、、について、
考えて見た時、これらの都市って、その国全体との格差が
すごい激しい都市だよなぁ思い。

(都市が魅力的≒国家全体における格差が激しい?)

出来れば、都市空間で暮らす人の、「国民」としての意識とか、
んーよく分かんないけど、授業で出てきたテーマで、
国家と市民権を、どの様に解釈していくかで、
"flexible citizenship"ってのが、出てきたんだけど。

外交官とか、政治的・経済的権限?が与えられている
人たちって、もしかして"flexible citizenship"ってのがすでに
与えられているのでは?って思い。
そういう人たちで、更に都市空間で暮らす人の、国家との関係とか。

どうして都市が重要かってのは、例えばホテルのHoliday Innとか、
東京のでもバンコクのでも、全く同じ「価値」が提供されていて。

(都市なら)どこにいても、何でも、同じものが、
手に入るって感覚が気になるの。
都市間で、「価値」が普遍化されていってるのがあると思うの。

そんな価値観を持った人たちの、ナショナリズム、みたいな。

比較公共政策の授業は書いたっけ、
アメリカの環境問題に関わる公共政策を担当することに。

でもアメリカの「環境問題に関する政策」って名の下で、
移民(問題)に関係している政策が、たくさんあって。

そんな感じ。

おじいちゃんたちにバレンタインデーのチョコを贈るのと、
もうすぐ卒業の10の先輩たちにもカードを書いてて、
アイシユの図書館が恋しくなったり。

今週のアメリカ史の文献で、「ハーフ」の子どもの存在が
扱われているんだけど、「ハーフっていいなぁ」って、見た目だけで
言ったりするのって、すごい暴力だなぁと今さら思い。

あと今月号のCOURRIER JAPON読みたい!!!

堤未果さん美人ー。

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