「アメリカ留学」について話した。
Yちゃん自身は帰国子女ではないんだけど、ハイアガリだし
帰国子女・英語がネイティブの人たちに囲まれて高校から過ごしてきているし、
Yちゃんも勉強して話せるし、モンゴルとか色んなところに
旅もしているみたいで、アイシユ基準だと普通なんだろうけど、
比較的、同じ国際的な経験豊かな方にカテゴリ化されるタイプだと思う。
「アメリカ留学」のハナシになったのは、Yちゃんが卒論で
扱おうと考えている日本やアジアに多い、おかしな英語ってか、
でたらめの英語が書かれたTシャツとかについて話してたから。
例えば"Happy Sunshine"みたいに衣服にプリントされていても、
誰も別にヘンに思わないでしょう。帰国子女や英語が得意でない限り。
でも「元気な太陽」なんてプリントされてたら、下手したら
「宗教?!」思われてもおかしくないでしょ。
ことばが商品化され、消費される現象を見たいらしい。
英語とかは、なんだろう、Occidentalism西洋への
憧れみたいな色々って感じで語れると思うんだけど。
例えば、沖縄の文化を表す時、ひらがなが使われるのに、
あんなは興味がある。
『ちゅらさん』とか。
「ろかーる」とか(境にある高いけど美味しい沖縄料理屋さん)。
逆だけど、この現象もことばが文化の商品化に加担している感じだと思う。
---
そんなことばのハナシから、どうやって「アメリカ留学」の
話題になったのかって言うと。
留学、そして「アメリカ留学」や、「イギリス留学」が何を表しているのか。
どっかで読んだ表現なんだけど、今は留学バブルの時代。
夏休みを利用して短期語学留学なんて、誰だってしてることで。
(和三盆の上品な砂糖菓子とソニプラの色々と、)
一ヶ月間カナダに留学すると書いた手紙を今日、
マイいとこからもらったとこである。
Another Annaちゃんも書いてたけど、今の時代「留学」ってのは、
大学生活・学生の間に誰でも体験することの出来る、
金銭的余裕さえあれば、特に「決心」なんて必要のない行為で。
そんなバブリーなブルジョワ学生の時代に、例えばフィリピンに
語学(ココ重要)留学すること、そしてアメリカに語学留学することが
表わす違いとは、みたいなハナシをしてたんだけど。
フィリピンはアジアで近場で、物価も安くって、比較的、その
留学する「決心」の必要性が少ないオプションとして捉えられている
ところがあると思う。
むしろその「決心」の必要性の度合いの低さこそが、決めてに
なるところも、あるんじゃないかなー思う。
に、比べて、地理的にも文化的にもアメリカやイギリスは遠いし、
いくら語学留学といえども、比較的「決心」の必要な
オプションなのではないか思う。高いし。
一般的な「フィリピンに英語を勉強しに行くんです」に
対するレスは、「近場だね!」みたいな感じであるように想像する。
そして一般的な「アメリカに留学します」に対する反応は、
「本場で勉強するときっと身につくだろうね!」みたい
なんじゃないかなーと考える。
(この場合は語学だけど)留学することが「決心」してするほどのことではなく、
大学生活の一部・延長線上にあってもおかしくない時代に
なってきているのであれば、どこに留学するのでもほとんど同一で(留学は
「手段」みたいな感じで)、そうなった場合、race to the bottom的に
いちばん手軽なオプションをみんな求めるようになるであろうって、
経済学的に考えるとなると思うんだけど。
(あとどこでも同じもんが手に入るって言うグローバリゼーション的にも)
それでもってか、その留学することの気軽さが増す現象と共に、
一つの国に留学するのと、別の国に留学する二つの選択肢の間に
ある差異が創造・想像されて、強調される現象も絶対発生しているように感じる。
ヤングが『排除型社会』で言ってる本質化みたいな。
(まぁ、だって、本来の「留学」が売りにしていることって「本場さ」だものね。)
ある国の文化とか歴史のために留学してるのではなく、語学力を向上させる
ためとか、「手段」としてなのであれば、なんだそれって感じの
差異化のように感じられるけど、でも結局はこれもまた、
西洋への憧れとポスト植民地主義の現象なんだろうなぁと。
あんなの「アメリカ留学」の目的は語学力のためではない。
(たしかアイシユの交換留学のヤツだと、むしろそれはアウト)
それでも(?)留学する前にママに
「アイシユ(日本)で勉強して勉強して勉強して、アイシユで勉強出来ることは全て
勉強し尽くして、次に勉強したいことはアメリカにしかないって言うなら、
あんなが留学する必要性や意義は見えてくるけど、そこんところどうなの?」
って言われたのを覚えてる。
そして正直、何もかも勉強し尽くして今に至っているとは言えない。
語学や文化面で不自由がないから「(十分)
覚悟してなかった」って感覚は、ないワケではないけど、
日常を過ごしていて、すごい考えさせられることではない。
そしてたったの一年間っちゃぁ、一年間という、限られた
期間の留学である。
それでも自分の恵まれている特権的立場について少しでも
意識的に考えることは、あんなの今するべき最低限のことだと思う(Luke 12:48)。
アイシユでもどこでも、勉強し尽くし切っているのに、
その機会が与えられていない人が報われなさすぎる。
何もかも不条理で社会って不平等に出来ているもんでも、。
だらだらと何が言いたいのかもよく分かんない、
ただの恥ずかしい文章になっちゃったけど、
留学しながら、あんなはこんなこと考えてます。
0 件のコメント:
コメントを投稿