がつがつ書こう、良い作品を先生に読んで欲しいって意欲が湧いてきた。
「都市」と「市民権」"Citizenship"とDiaspora「ディアスポラ」を、
ジェンダー・セクシュアリティ、エスニシティ・人種、階層、、、
社会構造の視点から見たいんだけど。
同じジェンダー、エスニシティ、階層でも、"privileged"な人;特権的立場に
いる人と、access権限がexploit剥奪されている人と、一緒に語る
ことは出来ないよ、みたいな。
同じアジア人女性でも、セックスワーカーと高等教育の過程に
いる留学生と、は、同じように語ることは出来ないよって。
特権的立場にいる;アクセスが許されている身体とは、みたいな。
フーコーの権力の理論で、権力ってのはトップダウン方式に
出来てるんじゃなくって色んなところで、発生してるんだよってのと、
(ほら、日本の学生運動の時、裏でおにぎり握ってた、
アメリカ合衆国で70年代にあった、アジア系アメリカ人の
解放運動の時、お茶汲みしてた女性たちの議論。笑・えないけど)
Diasporaディアスポラ、周縁的立場にいる人たちを
一つに括って捉えるのに応用して。
こっちに来る前に、アメリカ大使館でヴィザ取得のプロセスの
時に見た光景、感じ・経験したことについて書きたくって。
アイシユの社会学の先生で移民問題を扱っている先生が、
自分が移民問題を扱うのは、自分自身も、グローバリゼーションの
プロセスの中で、
(フルブライトの奨学金で留学して国際機関で研究して)
移動しているからよみたいに言ってたのに対して、むかむかしてて、
ってのが、主なこのテーマを扱いたい理由。
「都市」の方はまだしっかりと、こうゆーの!ってのは、ないんだけど、
とりあえず、TOKYOでもNYでもSF(サンフランシスコ)でも、
リベラルで先験的って捉えられている都市空間における、排除、
もしくは、そうゆー空間で表象されない身体が気になるの。
NYでアパレル関係の仕事に就いてる白人ゲイの
黒人のセックスワーク、およびワーカーに対する差別、
東京で暮らす、インターナショナルスクールに子どもを
通わせている家庭のフィリピン人女性に対する差別、とか。
自分の中でもまだぐるぐるある感じなんだけど、
(東京のインターに子ども通わせている方は
当てはまらないかもだけど)
森達也の『放送禁止歌』に出てきた歌の一つで、
被差別部落民の文化の歌があって、
歌詞に、となりの町よりは、まだマシだみたいな歌詞があって。
こう、排除されているコミュニティ同士に見られる、
まだお前らなんかよりはマシ;お前らと一緒にされたくない、
みたいな、差別し合う?自分も排除されていて、不安定な立場に
置かれているから、他の誰かを更に周縁的立場に追いやろうとする現象、
ってのかな、が、気になるの。
なんだろう、都市空間では、誰も排除されない、みたいな、
都市空間の表象のされ方(リベラルで、多文化主義で、誰でも受け入れ
られているような)って、おかしいんじゃないの、みたいな。
コレもフーコーの力関係って、トップダウンで、強者・弱者って二つに
分けられないよって理論かなぁ。
ハルバースタムみたいに、逆に「田舎」って、すごいコンサバに
見られてるけど、「監視」とか、「まなざし」の視点から見たら、逆に
何でもアリな空間としてもとれるんじゃないの?みたいな比較まで持ってくかは、
分かんない。むしろ、あんなの議論に持ってきたらごっちゃになっちゃいそう。
あとフーコーの、権力のも、納得いかないとこ。
トップダウンだけではないけど、
でっかい、なんだろ、hegemonic覇権主義的な、
権力関係もあると思うんだよなぁ。家父長制とか。
それこそ、パノプティコン!!!
---
なんかね、最初は「宗教」を扱いたかったの。
2年前ぐらいに、『となりの神さま』って本を読んだんだけど。
日本にやってきた異国の宗教を扱ったルポ;
学術的な本ではなく、写真エッセイみたいな感じで。
それを読んだ時、例えば韓国のキリスト教とかも
扱われているんだけど。
「キリスト教」ってメディアではたいてい、西洋の宗教って
表象されていることが多いのに、実際にその国の人たちの
大半がガチで信者のキリスト教って意味では(アメリカは、違う)、
今では韓国がいちばん、Christianで("Christian"って言葉は聖書の
中では一切形容詞として使われていないってのパパ・プチに
叩きこまれたのに形容詞として使っているねぇ)キリスト教信者の
多い国だと思うよって、アイシユ教会の牧師の先生と話している時に話題になって。
なんだろう、「宗教」の表象とかを、見たいなー思ってたの。
他にも、(西洋で大人気の!!!)チベットのダライ・ラマって、
チベット語?(ヨーロッパから見た)東の言語では全然、
"Pursuit of Happiness"的な、ニュー・エイジーな、
スピリチュアル本とか書いてないのに、
英語では超書いてんの。
そして超消費されてんの。
(なんてビジネスマンなんだダライ・ラマ、、、)
そうゆーのを、例えばカルスタの言説分析チックに
見てみるの、楽しそうかなーなんて、思ってたの。
でもぜんっぜん、今んとこ発展してない。
から、とりあえずおいとこって感じ。笑
---
先生の研究はTrans-national Adoption、直訳したら異人種間養子。
(異人種間養子をテーマにしたドキュメンタリ。観たい!)
このテーマも気になる。
日本では(あんなが知らないだけかもだけど)養子の文化自体、
あまりポピュラーじゃない思うけど。
あんなが最初に養子の文化に接触したのも、異人種間養子だったし。
香港に住んでた小学生時代。
春休みかなんかに参加したキャンプで知り合った、
見た目は中国人の迷彩柄のTシャツを着てた女の子。
どんな文脈だったのかも思い出せないけど、
お互い8歳前後だってのに、すごいたんたんと、私は
biologically生物学的には中国人なんだけど、家族は
フランス人なの、みたいに教えられたのを覚えている。
そもそも養子のプロセスって、その子の生みの親が
いろいろ考えて、決断して、可能になることだから、
(でなきゃ誘拐ってハナシ)
何が問題かとか、問題なのかどうかも、考えるの
難しい問題(笑)なのは、あるけど。
でも異人種間では白人優位主義的な感覚、
オリエンタルなまなざしは、必ずあって、
無視出来ないことな気がする。
---
異人種間養子に関して、ってワケではないけど、
関連したトピックとして、先生がこの事件のハナシを持ち出した。
ハイチで地震によって家族と離れ離れになっちゃったりした
子どもたちを孤児院に移動させようとしていた過程で、
誘拐犯として疑われたアメリカからやってきた白人中産階級の
キリスト教(福音派か、原理主義的などっか)の宣教師たち。
「救ってあげよう」としていたのに、「拉致」してたのでは、と。
ハイチ政府・警察がこの宣教師たちを疑ったのは、実際に、
子どもたちの拉致が起こっているからで。
このアメリカの宣教師たちによって、救われていたかも知れないし、
(ここがいちばん問題なのだけど)宣教師たちだって、良かれと思って、
わざわざハイチまで来てたワケだけど。
でもその子どもたちを「救ってあげる」っていう態度の表れは、あるよねぇ。
---
夜(中)に考えごとはいけない。
明日の朝これ読んで、あちゃーなるんだろうなぁ。
最後に、同じクラスで、ハリウッドにおけるアジア人女性の表象を
研究してる日本人とアメリカ人のハーフのお友達が教えてくれたの。
Mail Order Brideって言って、ネットやカタログを通しての
お見合いみたいなのがあるんだけど、アメリカでは主に異人種間のを、指すのね。
それのパロディ。こうゆー抵抗の文化、好きー。
0 件のコメント:
コメントを投稿