2010年6月4日金曜日

tokyo lovin'なきんようび

今日は高校時代からの仲良しな女の子二人とデートしてきたょ♥

Sex and the City 2の映画観て、
キレイな野菜が食べれるレストランでランチ、
渋谷のスクランブル交差点が見下ろせるL'Occitaneカフェで
デザート、の後はプリクラ撮って、

東京の女子って感じ?満足です♪

SATCは、やっぱりBeyonceのSingle LadiesをJudy Garlandの
実の娘のLiza Minelliが歌って踊ってるシーンとか、

4人が"I am woman, hear me roar!"歌ってるとことか、

しょっぱなのファビュラス過ぎるNYの映像のバックにAlicia Keyes feat. Jay-Zの
"Empire State of Mind"流れてるだけのとことか、

無条件に最っっ高に、アガるシーン盛りだくさんで、
良かったのだけど、パート1のが、個人的には好きかなぁ?

今回の非現実的過ぎたって言っても、一作目もかなり非現実的だったから、
どこがどう違って、一作目のが好きだったって言えないのだけど、
今回のは、え、そこスムーズに進み過ぎじゃない?!?!ってのが多すぎたかもっっ

SATC的に女子二人とさわやかな日差しが注ぎ込む野菜レストランで
ランチしながら、その内のお一人の結婚のお話♪

来年の一月にハワイで挙式、行けたらいいな♪

夜はママと待ち合わせて、少し買い物して、中華食べて♪

'10の、大学生活最後の夏休み最後の日、じゅーじつしてたなぁ!
来週から頑張る!って気合いも入った感ぢ♥

あ、でも夕方~夜は空いてるので、みんな会おうね♥

tokyo lovin'なきんようびでした!

2010年5月18日火曜日

"waitアタシi'm atオスマーnow butどこ行けば良い?"


帰国しました@5/15。

12時間ほどのフライトではメリル・ストリープではなく、
John KrasinskiのためにIt's Complicated、
ぺネロぺ超可愛かったけどストーリーはイマイチだったNINE、
相変わらず面白かったジャッキー・チャンのThe Spy Next Door、
超アメリカンなThe Blind Side、
レズビアン向けの映画だろうとしか思えないWhip It!、
映画を5本観て。

日曜日はママと温泉、お寿司、
昨日は学校行って。

アメリカ・シアトルでは日本語が聞こえると、
「あ!日本人の人だ!」って感じで、
(でもだいたい、自分が一緒にいる人や、
知り合いから聞こえてくるワケではなく、
アメリカ人と一緒にいるあんなは、その日本語で
会話している人たちからは、他者として見られていて、)

東京に戻ってきて、日本語が聞こえると、
って、どこ行っても、電車のつり革広告でも、
人の話している声でも、日本語が入ってくると、
読めなくっても、ちゃんと何言ってるのか
聞きとれなくても、
日本語だって確認出来て、
ああ、日本に戻ってきたんだなと感じ、

学校に行って、
"How was the US?やっぱり良かったでしょー?"
"今どこ?I'm atガッキnow."
"じゃあ後でI'll meet you byバカ山。"
って耳に入って来て、

ああ、やっとI'm homeって感じ、
やっと、ただいま、って。

あんなにとって、大学は、大学が、homeだな。

昨日、ジャスミンの花の香りと新緑が豊かな帰り道を
チャリで走りながら、しみじみ、感じました。

2010年5月9日日曜日

とりあえず、

アイシユの一期生の方のお宅inシアトルにお邪魔してます。
家は3階建ての、レベルの高いお金持ち。

昨日の夜は、ばんごはん日本のカレー、美味しかったぁ。

来週の今ごろはもう日本だなんて、想像出来ない、、、

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書きたいことたくさんあるのだけど、とりあえず。

"A modern nostalgic can be homesick and sick of home, at once (50)."

-Svetlana Boym, The Future of Nostalgia

2010年4月30日金曜日

いや、まだまだ問題はあるんだけど、

4/30「高校無償化:朝鮮学校は含まれず」@毎日新聞

もうすぐ朝の5時で、4時間後にはMTGがあって、
期末週間なのだけど、このニュース。

タイトルからして、朝鮮学校だけが、注目されているような気が
するのだけど、ちょっと、後半!!!

「告示されたのは・・・政府が日本の高校に類する過程と認定した・・・
国際的な評価機関の認定を受けたインターナショナル・スクール17校。

気になり過ぎて、文科省のサイト行って調べてみたら、


載ってる!!!

(他の学校で、つづり間違っているとことかあるんけど、、、)

何、ってことは、毎年ママパパ宛てに送られてきてた、子どもを学校に
行かせろよって手紙from文科省、なくなるってこと?

学校として認められていなかったから、あんなは「帰国」後、
インターだったから学校に行っていたことになっていなかったワケだけど、
学校行っていたってことに、なるの?

ついでにインターに通わせるのにも、助成金出るの?
私立と同じ扱いになるのかな。

朝鮮学校への差別が残っているのは、そうなのだけど、
それでも、インターに子どもを通わせることによって、差別を
受けていた人たちは、少し救われるのでは。

2010年4月26日月曜日

ひょっこりひょうたん島の博士。


このブログの名前も、この人のブログからパクらせてもらっている、

おじいちゃんと金髪の若者、二人もひょっこりひょうたん島の博士のメガネ。

井上ひさし氏へのトリビュートなのか、スコット。
そしてそして、東京、もっとオシャレな人いるでしょー!


通訳の先生にもらったのだけど、井上ひさしの言葉で、

「むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに」

って言葉は、好きってか、通訳している時でも、何か書いている時でも、
重要なのは、内容・何を伝えるかではなく、
どう伝えるかなんだなーって、思い出させてくれる言葉。

実際、通訳で言語能力の重要さ・役割りなんて、20%未満なんだって。
あとの80%は、いかに伝えるか、パッケージであって。
良い通訳とは、どれだけその言語が話せるかだけでなく、相手に
分かりやすいように伝えられるかどうかで決まる。
あらためて考えてみたら当たり前なのだけど、ね。


帰国が迫りつつある最近、盛りだくさんです。

ちょっと前にEducation Access Coalitionのシンポで発表した
詩を、先生に褒められ、ココのWomen's Studiesの学部の賞に
応募したらー?言われたから、応募してみたら、
なんと、賞もらっちゃいました@ちゃっかり奨学金まで。@$50とかだけど。

Creative Achievement Awardで、
In recognition of exceptional achievement in creative, artistic, and personal expression contributing to Women's Studies Scholarship.

だって。
嬉しいねぇ、書いてみるもんだね、投稿してみるもんだね。

おセンチ過ぎて恥ずかしいのだけど、

先学期の抵抗の文学の書き方を教えてもらった授業を
受けていなかったら、
その授業での色んな他の学生との出会いがなかったら、

11月にボストンで会ってもらったI先生に、誰かの存在を不可視化して
しまっているのではないかって常に考えるのも重要なことだけど、
自分の与えられている機会は使うべき「特権」として理解して;与えられているものを
利用して進んでいくんだよって、背中を押してもらうことがなかったら、

ワルシャワで勉強しているAnnaちゃんみたいにストレスで落ち込んでいる
時に、優しく気にかけてくれる、尊敬出来る先輩がいなかったら、

先学期の先生と、今学期の先生に語るんだって、いっぱいいっぱい、
自分の勉強していることを発表していくんだよって教えて励ましてもらうことがなかったら、

(そして何度も何度も、書き直しのプロセスに付き合ってもらい、、、)

今ココで、勉強させてもらう機会に、
それを許してくれて、応援してくれる家族に恵まれて
いなかったら、ありえなかったワケで、

その偶然に偶然が重なって、賞をもらうまでに至ったことを
考えていると、幸せもの過ぎて、一緒に賞もらった、先学期から
ずっと一緒に勉強してきているアリーとほろり泣いてしまい。

アリーも超アメリカンなギャルなんだけど超勉強家で、
アメリカ共和党のSarah Palinとかに見られる、保守的ってのかな、
アンチ中絶の語り(最近は子どもが産まれる前に、「障害」を
持って産まれてくるかどうか検査すること出来るじゃない)を、
障害(者)理論×クィア理論的視点から批判をした論文で賞をもらっていたよ。

あんなの幸せをいつも思っていてくれているママにも後から
伝えて、喜んでもらえて、嬉しかったなぁ。


今日はおばあちゃんからお手紙が。

「あなたが詩を朗読したり、論文を学会で発表したりすると書いてあって、
私は本当にうれしくて涙が出そうでした。私の夢をあなたが実現して下さった
みたい。いつかその詩や論文を読ませてもらいたいと思いました。」

夢を実現させてもらっているのは、あんなの方なのに、
おばあちゃんにもそれを喜んでもらえて嬉しいなぁ、と。

2010年4月23日金曜日

良い映画2本。


最近観た良い映画二つ。


一つ目はドキュメンタリ。

オハイオ州コロンバス(オハイオ州立大学がある場所でもある、ってことは、
先輩が交換留学で行ってた学校になるんだ!って今気付いた)は、

50年代、低所得者の人たち、まぁ、多くの黒人が住みつくように
なっていた住宅街なのだけど。

'oo年代、いきなり裕福な白人ゲイたちが入ってきて、
そこらの住宅を購入しようと、ゲイ・コミュニティを作ろうと、街を
乗っ取ろうとしていった(今も続いているけど)プロセスを描いた作品。

タイトルの"flag"旗は、ゲイのカップルたちが家の前にかかげるようになった
レインボーの旗と、それに対抗して、黒人の人たちも自分たちのアメリカ
南北戦時代の、旗をかかげるようになった旗から。

金持ち白人、ピンクのラルフローレンのポロシャツの襟立ててる
日サロ焼けしまくってるゲイたちは、道端でホームレスの人に
出くわしたり、夜の銃声とか聞いて、こんな荒れている場所で、
ボクたちのコミュニティが作れるワケない
じゃない!出ていって!って態度で。

対して、黒人の人たちも、ココはずっと俺たちの土地だったんだ、
お前らオカマみたいな変態なヤツらは入って来るんじゃねえ!って態度で。

でも声を上げて、戦うことも出来ないのは、難病持ちで治療費と
家賃の請求でどうしようもない状態に追い込まれている、底辺の人。

一人の、そんな女性の視点からも描かれているんだけど、
うん、うまく言葉に出来ない。観よう!

ボスニアの大虐殺の、民族浄化"ethnic cleansing"のプロセスに
例えていて、色んな視点から描かれていて、良かった。

二つ目は"Shortbus"『ショートバス』って映画。
監督はヘドウィグの、John Cameron Mitchell。
キャストは公募で行われて、台本もほとんどなしで、「クィア界」の
セレブなドラァグだったり、理論家だったりが出演していて。


主人公の一人のアジア系女性は、カナダでDJやってる人とか。

セックスの多い映画ってかむしろポルノ映画だから、所属していた
ラジオ局から反対があったりしたらしいけど、クィア界の著名人
(09年にリリースされたドキュメンタリじゃない、ショーンペンの
"Milk"『ミルク』の監督のGus Van Santとか)がラジオ局に
抗議の手紙みたいなんとか出して、出演許可されたとか。

セットも「USクィア界」的には超ゴーカで、一つはNYで起きたAIDS現象に
ついて論じているMichael Warnerの自宅とか!

舞台はいちよう、ポスト9/11のNYってなってるんだけど、

(よってポストAIDS、ポストNYのGiuliani市長による中産階級化)

実際のセリフに、

"It's just like the '60's. Just with less hope."

「60年代みたいなモノよ。ただ将来がないってだけで。」

みたいにあるみたいに、ヒッピーな60年代を彷彿とさせる感じあったり、
アニメーションで(Mitchellはこの手法をよく使う)ファンタジックな雰囲気があったり、、、

そのファンタジックな感じは、物事のtemporalityを表わしていて、
その未来のなさは、90年代のAIDSパニックのころとしても解釈
出来るのでは?って意見も授業では出たのだけど、確かに、
ミュージカル映画RENTのポルノ版、のようにも感じられた。

NYでいちばんAIDSが騒がれいた70~80年代にかけて市長だったEd Kochは、
今はもう亡くなられているのだけど、KochはそのAIDSの騒ぎのころ、
何も対策を打たなかったのは、積極的に取り組むことによって、逆に
ゲイだって思われたくなかった・バレたくなかった;クロゼットclosetedだって
ずっと疑われている市長なんだけど、Ed Kochのキャラクターも出てきたり。

あー、去年観た、『愛のむきだし』以来、良い意味でぐっちゃぐちゃなって、
ぐるぐる考えさせられる、長いんだけど何度も何度も観たい思った映画だ。

気になったのは、最後にぱーっと、みんな解放されるのと、
SM文化の表象のされ方ぐらいかなー。

主人公の一人の女の子が、SMの女王様で、「本当の自分」を
うまく表現出来ない、人とうまく関係を持てない、みたいな語りだったのだけど。

あーまり好きじゃなかったかな、その読み方は。

もっとSM文化って、複雑だと思うんだよなー。
「痛み」×「恥」×「侮辱」・・・=快楽;
「痛み」が欲望の対象であるとことか。

あと最後みんなひゃっほうーって解放されるのより、
複雑なままで、みんな傷ついたままのが良かった、ってワケじゃないけど、
そんな単純じゃないでしょう、みんな救われるのなんてない、
誰かが承認され、救われるとき、誰かはそのプロセスによって、なお周縁化され、
なお傷つくことだって、あるんだから、ってのを、表現して欲しかったのかな。
(だって実際そうじゃない)

東京に戻るので何が楽しみって、またお気に入りの映画館に行くことなんだな。

アップリンクでは『アリ地獄のような街』、
ポレポレでは『ただいま』、『アヒルの子』、『LINE』、
ユーロで『クロッシング』、
早稲田でフランス映画、
イメージフォーラムでジジェクの映画ガイド(ジジェクとは友達の友達=みんな友達な関係笑)、『ビルマVJ』、
岩波で『パリ20区、僕たちのクラス』、
ライズでやってる名画座ので『トレインスポッティング』@初めて観たのは10歳、
ギンレイで母の日企画のつもりなのだろうけど、母の日には重いだろうな映画2本、
アテネ・フランセでアメリカ映画のパフォーマティヴィティと「時間」の、、、

それでそれで、あの映画館に行った帰りにはあそこのカフェに行って、、、

ここでの生活もあと2週間って思うと、とてもとても悲しくなるけど、
東京もやっぱり待ち遠しいんだな。シティ・ガール。

2010年4月21日水曜日

大学とか、(高等)教育の民営化


教育の民営化は、何につながるのかと、どうしてそれが
いけないのかについてぐるぐる考えているのだけど、

教育の民営化の可能性、みたいなのが気になる。

ぜーんぶ、価値なんてお金で測れるんだよーってして、
いちばんgain currency儲かってるのは、どの学問か(就職につながるって
意味でなら、ビジネスとか?)って見て、
例えば教養人であることを表している(はずの)哲学や、歴史学は
儲かってないってなった時。

歴史や伝統で、学問の価値を測らないのであるとなると、
何を意味するのか。

今もまだあるんだよね?専門高校や、職人の人について、
技を学んで、そのままそれを生かして就職ってか、
それを今度は食べていくのに使うの。

今の経営学とか、商学(部)って、同じようにとらえられるのか。
その後どうやって食べていくかに直結している具合。

昔の全てが良かった昔に戻ろうでもないし、
今があるべき、最高の状態とも思えない高等教育の場、位置づけ。

気になるので、ちょいとメモ。


豆腐ハンバーグ作ったの!

超水切りした木綿豆腐、
しいたけ(Shiitake Mushroomsってね)、にんじん、ねぎ炒めて、
パン粉(パンをトーストしたら出来るのね)、
手でこねこねして、

お醤油、カレー粉、塩コショウ混ぜて、ぽんぽんして、焼く。

美味しく出来た!
って何より、型崩れしなかった!
たまご使わないでも、出来るんだね。
(Veganじゃないです。ベジタリアンでもないです。)

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アメ史の授業の課題本、On Not Speaking Chinese: Living Between Asia and the West
を、読んでいるのだけど、やっぱりdiasporic intellectualディアスポラの
知識人(なんでこう訳したのか知らないけど、本橋のタイトルそのまんま)は、
好きなテーマってか、読んでいてうんうんなって、だーだー泣かされる。

作者のIen Angは中国系の親を持ち、インドネシア生まれオランダ育ち。
今はオーストラリアで研究していらっしゃるみたい。

Angはどうして中国人・アジア人とidentifyすることが苦手なのかに
ついて、書いてあるのだけど。

中国人に、見た目は同じ中国人なのに、中国語しゃべれないコイツ!
思われ、よって、「同じ」中国人に差別され、みたいな語り、もちろん
納得ってか、よく理解出来るのだけど、

Angは更に、差別され、いじめられているのに、
親には理解されないって、親は同じ中国人同士ならって考えで、
自分の経験していることは通じないであろうって語っているんだ。

自分とシンクロし過ぎていて、もう、ブログ書かずにはいられず。

親の世代は、異国で「やっぱり」頼れるのは同じ人種の
人たちって感覚で。
同じ人種、同じ言葉を話すモノ同士ってだけで、OK牧場な感覚。

でもAngは、オランダ語しか話せない状態だったから、
中国人の人と言葉を交わすことも出来なかったって言ってて。

そうなんだよなぁ、異国でだと、同じ人種、言葉が通じるってだけで、
なんだろう、そこで友達になれない・通じ合えないのは
おかしい、みたいなのがさっぱり理解、、、出来なくないのだけど、
英語が話せるってので、人種関係なく、人と対話出来るあんなには、
同じ人種であることの重要さなんて(分から)ない。

同じ人種でも、生い立ち・backgroundバックグラウンド(「背景」みたいに
なるのかな?でもbackgroundのがしっくり来る)が違ったら、
「敵」とまではいかなくっても、ん、敵になるのかな?

こう、アメリカでの第二波フェミニズムやブラック・フェミニズム、黒人女性の
フェミニズムにおいて、(第一波は)白人の中~上流階級の主婦の
女性しか、解放されてないじゃない!って、語っていたの、

誰かが解放される時、参政権を得るプロセスで、私は更に周縁化され、
言葉(を発する場)を奪われる、って語り。

同じ女性でも(Sojourner Truthの"Ain't I a Woman?"を
読む時のT中Kず子先生は女優)、人種、階層、が違うと、何もかも違うんだよっていう。

もちろん、自分が特権的立場におかれていることは、自覚しているのだけど。

うん、このテーマやっぱり好きってか、通じる人がいるって感じられて、幸せだ。